足らなくなった2種類の活字
引用した部分では字を補ったが、原資料では地震を「地シン」、震災を「シン災」と記している箇所が異常に多い。ことに後半になるほど地シン、シン災が多くなる。
どうやらこれは、「震」という活字が足りなくなったからのようだ。
そして、カタカナ表記や、明らかに大きさが違う活字が使われているものに、もうひとつ「惨」という字があった。
30数ページの写真集を印刷するのに、「震」と「惨」の活字が足りなくなってしまったことに、関東大震災の恐るべき猛威が象徴されているように思う。
そしてもうひとつ考えるのは、もしも今まだ活字の時代だったとしたならば、2011年の大震災の折にもやはり、「震」「津」「波」、そして「惨」の活字が足りなくなり、カタカナで表記せざるを得なかったのではないかということだ。
東京の下町を歩いても、横浜の丘の上に立って町を眺めても、現代的な都市の光景が広がるばかり。しかし91年前、この場所は阿鼻叫喚の地獄そのものだった。「惨」の活字がなくなるなくなるまで、震災のむごたらしい状況を描いて、描いて、描きつくそうとしてもなお、91年前の記者が「その惨状を伝える言葉を人間は持っていない」と語らざるをえなかったほどの惨状。それが災害の実像なのだろう。
災害がなんなのか、大都市が大災害の被災地になるのがどういうことなのか。関東大震災の惨劇をこころに刻み、悲劇を繰り返さないために何をなすべきかを考えたい。
次の世代に災害の脅威を伝えなければならなくなった時、「教訓として生かされなかったひとつ前の災害を、自戒のために掲載する」ということが繰り返されてはならない。編集者たちが「関東大震災画報」の冒頭に安政の地震の絵図を掲載したのは、言葉で言い表すことのできない惨や恨、無念さを伝えるためだったのに違いない。
最終ページ
帝都の焼失総戸数は31万6000余戸
罹災民135万人余
帝都の死体の取かたづけについては13台の貨物自動車で、1000名の妊婦を以て極力焼却につとめているが、8日夜半までに収容焼却した数は
(中略)
その他、旧火葬場等で焼却した分を合算すると約6万以上に達しているが、なおこのほか隅田川に墜落溺死している者、家屋の下敷きとなって圧死あるいは焼死している者、道路に黒焦になって倒れている死体は実に20万を突破する見込である。
――関東大震災はむかし話ではない。まして他人事などではない。
文●井上良太