ごめんなさい。津波の話です。震災を経験された方は読まないで下さい。
あの日の夜、テレビやラジオが「壊滅」という言葉と結びつけて報じていた町。「女川町とは連絡が取れていません」――。被災した町の最新状況を伝えるアナウンサーが、数十分おきに同じ言葉を繰り返していた町。いったいその町で何が起きていたのか。
ぼくは津波というものを知らない。
津波がおさまった直後に、町だったはずの場所に残された景色をぼくは知らない。
震災の後、道路はもちろん住宅地のがれき撤去も進み始めた秋、津波を知らないぼくはその町で何人かの人から津波の時の話を聞いた。高台にある小学校の駐車場から山の方を見ると、木々の間を大きな漁船が谷沿いに山に向かって流されているのが見えた。
山の中を船?
信じられないことが起きている。考えられないような状況。彼はきっとそのことを言いたかったのだろう。でもそれをどれだけ理解することができただろうか。広島出身の人は、翌日の町の光景を目にして爆心地という言葉を思い出したと話してくれた。広島という土地柄、こどもの頃から繰り返し授業で習ってきた原爆被害になぞらえるしかできないくらいの状況だったと、彼もきっと言いたかったのだろう。でもそれをどれだけ理解することができただろうか。
カラフルなトレーラーハウスが並ぶ人気の宿泊施設エルファロ。かつて住宅地だったその場所から、近所の人の車に乗せてもらって山に向かい、さらに崖をよじ登って助かったという人は何度かテレビにも出たという。新聞に体験談も載せられた。でもね、近所の人たち、中には小さなこどもいて、必死で崖をよじ登っていた時には後ろを振り返ることができなかったんだよ。怖くて。
震災から1年以上たった後、当時は記者さんにも話せなかった「振り返れなかった」ことを話してくれた彼女が、当時どんな思いでいたのか、そのことをどれだけ理解することができただろうか。
海からどれくらい離れた場所まで津波は押し寄せたのか。津波はどれくらいの高さにまで及んだのか。がれき撤去が進む町を歩いて、「こんなところまで!」と驚くことはできたけれど、それは距離と高さという二次元の、頭の中での理解でしかなかった。
3年たった後、その町に暮らしてきた人に改めて町を案内してもらいながら、町の西側の小さな峠を津波が越えて行ったことを教わった。被害マップを見て知っていたはずのことなのに、まさかそんな所まではと、思い違いをしていた。
自分のいい加減さを思い知らされて、町の方を振り向いて見ると、なだらかな坂が海に向かって緩やかに続いているのが見渡せた。市街地だったあたりの道路と震災遺構として残すかどうかが議論されているビルが見えた。
谷のような地形の町を完全に埋め尽くしていたイメージが脳裏に現れる。津波は高さ何メートル、浸水距離何キロメートルという数字ではなく、考えられない状況、信じられない現実、常ならぬものとして3年前のあの日、ここにあった。あの日、この場所は海だった。それも静かな湖のような海ではなく、押してくる津波と引き波がぶつかり合って渦をなし、家も車も船も泥も巻き込んだ激流。
海とも呼べない激流にすべてが呑みこまれ、溺れていたんだ。
津波のことなんてもう、ほとんど忘れている。頭に残っていたとしたってそれは、高さ何メートル、浸水範囲何キロといった数字でしかない。
きっとそれにも理由がある。いつもの見なれた日常の中で暮らしているぼくたちは、常ならぬものを想像したり理解したりする力を、決定的に欠いているからだろう。
それでも時々思うことがある。たとえば月に1回、ぼくは熱海の病院に通院している。待合室の窓は海に面していて、窓の下はほとんど崖のようになっている。崖の下には海岸沿いを走る有料道路。その向こうはすぐに海だ。その窓から海を見下ろす高度感が、ちょうど女川の高台の病院の駐車場からの高さとそっくりなのだ。
目の前の相模湾が盛り上がって津波がここに押し寄せてきたら!
上の階にのぼっていけばたぶん大丈夫だろうと自分に言い聞かせる。たとえ30メートルを超える津波でも、屋上まで逃げれば何とかなるだろうと考えようとしてみる。
でも、もしもそれよりも大きな津波だったら?
それに、駆け上がっていく階段に杖をついた入院患者さんがいたら? 職員の人たちが患者さんを担ぎ上げようとしていたりしたら?
雄勝や南三陸、陸前高田の病院の話を思い出さずにはいられない。窓を突き破りフロアに満ち溢れ、階段の通路を駆け上がってくる津波の中を、ぼくたちはどうやって生き延びるのだろうか。
もしも運よく生き延びたとして、想像してみる。津波が引いた後に熱海の町はどうなっているのか――。
人工ビーチの砂は抉られ、海岸沿いに林立するホテルやマンションの低層階は津波にぶち抜かれ、白いクルーザーやヨットが信じられないような場所に突き刺さって炎をあげている。その下には津波で揉みくちゃになった自動車が、いったい何台あるのか分からないくらいごちゃごちゃに積み上げられて、やはり炎をあげている。遠くには大島や初島に向かう客船が爆発しているのも見える。路面なんて見えない。流されてきた物に覆われた上に海の泥をかぶって、いったい何がそこにあるのかすら分からない。そしてその中には、おそらく津波に呑まれた人たちの遺体があるのだ。瀕死の状態で助けを求めている人もいるかもしれない。頭上をたくさんのヘリコプターが飛び回る音がするが、救助や消火をするでもなく、ただ飛び回るばかり。
ぼくたちはそんな町を目の前にして何をするのだろうか。
町が、渦巻く海と化してしまう津波。人の力ではどうすることもできない津波。
時間がたって、記憶が風化しつつある時だからこそ、忘れてはならない――。そんな言葉は甘っちょろい。経験していないぼくたちには、理解することすらきわめて困難なのだと思う。日常を生きている言葉や感覚で、常ならぬものをどうやって受け止められるというのだろうか。
ぼくたちは津波を知らない。
そのことを忘れてはならない。
文●井上良太