五竜の滝と狩野川の情報 アディショナル!

sKenjiさんがぽたるページに「公園に五本の滝と重要文化財の古民家があった! ~裾野市中央公園~」という記事を書いて下さいました。私もオススメの伊豆ジオパーク・狩野川流域について記事を書いて下さったので、追加情報ということで。sKenjiさん、アザース!!

画像はちょいと間に合わなかったので、近いうちに今度また。

sKenjiさんが撮影した写真には写っていませんが、五竜の滝の周辺には民家がけっこう立ち並んでいます。きれいな自然の風景、という意識を持たずに適当なアングルで写真を撮ると、滝の上に住宅、滝の横の方にも住宅があるという、なんだかとてもシュールな写真が撮れてしまう場所、それが五竜の滝。

なんで滝のそばに住宅が…?

なんでかっていうと、この滝がかかる川の成り立ちや、滝の成り立ちと関わりがあるわけです。ふつう日本の場合は滝があるのって、大きな川の上流の、ずっとずっと山奥の方ってイメージがあるでしょ。でも必ずしも世界的に見たらそうでもない。ナイヤガラの滝があるのって、カナディアンロッキーの懐深くじゃなくて五大湖の縁。ビクトリアの滝だって、たしかにアフリカ大陸の奥地ではあるけれど、山岳地帯の最奥部ではありません。

滝って、必ずしも山の奥の川の上流にしかない、ってものではないのです。日本でのその証拠のひとつが五竜の滝。

滝は滝自身の浸食で、本来、どんどん上流に移動する

なあんて、見出しに書いちゃったけど、日本人の常識からしたら信じられないでしょうね。でも、滝が徐々に上流に移動して行くのは自然の理なのです。だって落ち口からゴーゴー水を落とし続け、滝壺をえぐり続けるんだから、滝って本来、少しずつ後退して行くものなのです。物理的に考えれば当たり前。もしもタイムマシンで遡ることができれば、本来すべての滝はどんどん河口に近づいて行くのです。欧米の旧大陸(地質学的にね)の研究者の中には、ナイアガラが何千年前に河口にあったかを論じている人もいるくらい。

ただ、日本の場合は、滝の後退よりもそれ以外の地形変動の方が大きいから、「海岸近くにできた滝が徐々に川を遡上して行って」なんて現象が見当たらないだけ。

だけど、五竜の滝は違う。この滝は河口から直線距離で10数キロ。しかもその下流には、もっと有名な鮎壷の滝ってのがあるんですが、こちらは駿河湾まで直線距離でわずか5~7キロほどしかないのです。滝の周囲は完全に住宅街。マンションが建っているすぐ近くに五竜の滝と同じ規模の滝が落ちています。

これらはまさに、滝は川の上流にあるという日本の常識を覆す存在。そして、おそらく日本でも有数の河口に近い滝、なのです。

オーストラリアとか知床半島でもないのに、どうしてそんな海の近くに滝があるのか?

五竜の滝や鮎壷の滝があるのは黄瀬川という川です。富士山麓から流れ出ている川ですが、ちょっと小難しく言うと、静岡県東部を流れる一級河川「狩野川」の最大の支流。富士山麓の御殿場市付近、もっと恣意的に言うなら富士山と富士山以前に大きな火山として成り立っていた愛鷹山との間あたりから駿河湾に北から南に流れ下る急流です。

本流である「狩野川(かのがわ)」には太平洋側に流れ下る川の中で、ほかに例を見ない特徴があります。それは上流域から下流域まで「南から北へ流れている」ことです。

日本列島の太平洋側の川であれば、たいていは山から海へ、つまり北側から南の方へ流れているのが普通です(阿武隈川くらいでしょうか例外は)。しかし、狩野川本流はほぼ一貫して南から北へ流れているのです。

伊豆半島そのものが南の海からやってきたから

どうして狩野川は、そんなへそ曲がりなのか?

理由は単純明快。伊豆半島そのものがフィリピン海プレートに乗って、南の海からやってきたから。海底火山の塊として、南の海から北上して、やがて本州の陸地にぶつかる前に、伊豆の火山群島の塊の盛り上がりの中に狩野川の原型となる川の流れがあったからなんです。

北上した火山群島としての伊豆半島のお話はまた別の機会に譲るとして、伊豆半島を南から北へと流れる狩野川の元々の姿は、本州の川が山から海へ流れているのと同じ理由で、流れ着いた原・伊豆半島(島)の北辺に流れていた川なのだと考えられています。だから本流は南から北へと流れる。当たり前っちゃ当たり前。

そして、いよいよ伊豆半島が本州とぶつかりそうになった時、本州側にはすでに本来どおり北から南に流れる川があった。古い時代の黄瀬川や現在大場川(だいばがわ)と呼ばれる川たちです。

伊豆半島と本州の衝突は、3日とか2年といった時間で起きたことではなく、長い長い時間をかけて行われたことだったので、旧伊豆半島(島)から北に流れる旧狩野川と、元々日本列島側にあった黄瀬川や大場川の流れ込む浅い海に、大量の土砂がどんどん堆積して行った。その場所がいまの三島市や函南町の辺り。さらに伊豆半島(島)と本州の密着が続いて、やがて陸続きになった時、黄瀬川や大場川は狩野川の支流として本流の流れの途中に合流する形で呑み込まれていったのです。

地球の歴史って、すごいですよね。まだまだわかっていないことばかりですが、狩野川と黄瀬川の関係は、このように考えてほぼ間違いないと思います。

だから、太平洋側でも珍しい南から北へ流れる狩野川本流がいまもあり、そこに不自然なくらいに北側から迂回したり、互いに接近したりする形で合流する黄瀬川、大場川、山田川などがあるわけなのです。

滝は富士山の溶岩流の流れた跡!

で、そんな狩野川流域にどうしてたくさんの滝が、しかも下流域の住宅地の中なんかにあるのか?

これまた答えは単純明快。伊豆半島が本州に衝突してしばらくしてから、あの富士山の活動が活発化したからってこと。

いまから数万~数千年前、流れ出た溶岩流が遠く離れた三島や沼津の町(かつては森だったのでしょうが)を埋め尽くし、海まで流れて行った流路こそが黄瀬川の河床。溶岩とはいえ低いところを流れる訳だから、川沿いに下って行って、流れる先々で冷やされて、溶岩の巌となった場所が滝として残された。

あるいは、黄瀬川から大場川の側へ勢い付けて流れ下った溶岩の帯の一部が、川をせき止めて滝となった。そんな風に説明されています。

どのみち、すご~くわくわくするようなジオな話な訳。まあ、あまりに大昔過ぎて、当時の縄文人がどれだけ被害に遭ったかなんてリアルには想像できないかもしれないけれど。

カヌーフェスティバルに参加して、太古と今を感じるっていうのはいかが?

ちなみに、とってもローカルな話になりますが、清水町(静岡市清水区とは別で、静岡県東部の町)で、黄瀬川が狩野川に合流する辺りには、かなり近い時代までやはり滝があったそうです。狩野川でカヌーをする人たちは「大滝跡」と呼んだりもします。

カヌーで狩野川下りをする時にいちばん楽しい場所がここ。いまでは滝があったなんてまったく信じられませんが、右岸に手作り野球場がある深い淵から香貫大橋の下あたりから突如として激流の瀬の連続に。水しぶきを上げながら、ジェットコースターみたいな川下りが楽しめる場所なんです。

浸食で滝が後退していくときに、滝の段差が壊れ過ぎたってことなのかな。

えーっと、ちなみにたぶん大滝があった頃の黄瀬川は、源平の戦いの富士川の戦いで、源頼朝が陣を敷いたあたりでもあるのです。頼朝が弟義経と出会ったと言われる八幡神社には兄弟の「対面石」が残されています。

という訳で、黄瀬川とその本流・狩野川についてざっくりお伝えしましたが、伊豆半島は地質的にいっても、その場所をもとに成り立った歴史という点でも、とっても貴重な場所。いにしえに思いを馳せることができう場所もたくさんです。地学系、理系、文系問わず、いろんな興味に答えてくれるのがジオパークの面白いところ♪

7月下旬からは、そんな伊豆の地質や文化、歴史の上に、狩野川をアクティビティとして楽しみ尽くす「狩野川カヌーフェスティバル」や、各自治体の観光団体が主催する花火大会などイベントも盛りだくさん。

以上、伊豆半島ジオパーク(勝手に)案内人がご報告しました。タパさん、まともなインフォにならなくてゴメンね●文責●井上