息子へ。東北からの手紙(2014年6月2日)

お金の話をしよう。

お店で何かを買った時に、代金として払うお金のことだ。代金というくらいだから、言うまでもなく、買った物と引き換えにお金を払うわけだ。

100円の物を買えば100円払う。(税金のことは、話が複雑になるので触れないことにしよう)
1万円出してもいいと思う物なら、1万円払ってその物を手に入れる。払うお金と手に入れる物は「等価」。これが基本だ。
お金がなかった時代でも同じことで、たとえば物々交換でも同じ価値があると思うから魚とお米とか、アザラシの毛皮とサトウキビとかの取り引きが成立していたのだろう。

甲州の大菩薩峠の辺りには、奥多摩の山里の山菜や干し肉と甲府盆地の農作物をやり取りする無人の交換場所があったらしい。山里から峠に登ってきた人が何かを置いて行く。盆地からやってきた人は自分の持ってきた物と「等価」と思える物と引き換えに、自分の品物を置いて行く。山里から登ってきた人はそれを受け取って、また別の物を置いて行く。

顔を見合わせることはなくても、そこには「等価」という信頼関係によって交換が成り立っていた。もしも、「あまりにもこれは……」という交換が成り立たないようなものが置かれていたら、取り引きは成立しない。成立しないどころか、山の峠の物々交換場所そのものが廃れてしまっただろう。

でも、そう遠くない昔まで、この交換は続いていたらしい。(そこには「いいものを貰ったから、お返しにこちらも」という贈与しあう関係もあったことだろうが、それも話が深くなりすぎるから、ここでは触れない)

今だって同じことだろ。

同じお金払ったのに、商品が傷物だった、腐っていた、バッタもんだった、とかいう時には、次からの商取引は成立しないかもしれない。「等価」であることは、取り引きの基本なんだと思う。

同じことは買ったり売ったりの商取引ばかりじゃなくて、世の中の様々な場面で行われている。たとえば「B to B」、事業や会社同士の取り引きでも、家や土地を貸したり借りたりする賃貸の取り引きでも、会社と社員の雇用という取り引きでも、さまざまな取り引きは合意の元に成立する。成立するのは「等価交換」としての合意があるからだ。

会社で働いている人を従業員というが、業務に従う人ということで会社の奴隷などではありえない。企業と従業員の間にある雇用関係も基本は「等価」だ。仕事をして報酬を得る。その時、報酬と仕事の価値は等価であるはずだと思う。企業で働く人たちも会社の名前で行動する時には、たとえ受注側の立場にある時でも、買いた叩かれたりしないように「等価」を基本に行動するはずだ。

もちろん、すべての取引が等価かとうと、そうは思えない現実もある。極端に値がつり上がったオークションで最後まで競い合った2人以外は冷めていたり、従業員をこき使うがブラックとまでは言えない企業があったり、ホントはお客の立場のはずなのに大家さんにぺこぺこしてしまったり。

でも、大前提は「等価交換」であり、そこから逸れた状況は不自然だということは確かだと思う。そうでなければ、略奪と搾取の世界になってしまう。

こんな当たり前過ぎることを延々と話してきたけど、さて、何の話だったっけ。そうだお金の話だった。どうしてお金の話をし始めたのかというと、今日、東京電力が報道各社に対してこんなお願いをリリースしたんだ。

報道関係各位一斉メール 2014年
福島第一原子力発電所における核物質防護に関するご留意のお願い

平成26年6月2日
東京電力株式会社

 福島第一原子力発電所における地下水バイパスの排水作業ならびに凍土遮水壁の設置作業について、一部の報道機関より空撮映像が放映・掲載されております。

 これらの放映された映像の中には、規制当局から情報管理の徹底を指導されている、原子炉等規制法に定められる「特定核燃料物質の防護のために講ずべき措置」に抵触する事項が含まれております。

 再三お願いをしているところですが、今後も、核物質防護上、建屋の出入口、フェンス、センサー、カメラなどの核物質防護設備を望遠カメラ等で撮影をすることはご遠慮いただきますようお願いいたします。

 *核物質防護:核物質の盗取又は不法移転、及び個人又は集団による原子力施設の妨害破壊行為に対し、核物質や原子力施設を守ること。

以 上

引用元:福島第一原子力発電所における核物質防護に関するご留意のお願い|東京電力 平成26年6月2日

あくまでも「お願い」だ。これをどう取るかは報道各社の判断次第ということ。

しかし、原発事故以来、広告を出す量は激減したとはいえ、震災以前は東京電力を筆頭に、全国の電力会社はマスコミ各社の上得意だった。基本的に競争のない地域独占企業なのに、広告出稿は自動車会社を超えて最大規模だった。

そう、今日の話のテーマはお金の話。

電力会社から「お願い」されたからといって、報道の姿勢を変えちゃうような人が報道機関にいるとは考えたくないが、もしかしたら、現場から離れたお偉いさんの中から、「社員の生活を守るため」とかいうヘンな理屈を持ち出して、「お願い」を「最後通牒」であるかのごとく受け取ってしまう人が出てこないとも限らない。

だからお金の話なんだ。基本は「等価交換」。広告だって同じこと。仮にその業界からの広告がなくなったとしても、それは大した意味を持たない。メディアが広告媒体としての高い価値を持ち続ける限り、広告の価値を求める業界側はいずれ出稿という判断をとらざるを得なくなるはず。もしも、そうならなければ、元々「等価交換」としての価値がなかったということだ。その分のお金は諦めて、ほかのジャンルでビジネスを頑張っていただくしかない。

もちろん、東京電力から表明されたのは「お願い」であって、電力会社が何かプレッシャーをかけたということではない。お願いをプレッシャーと受け取る人がいるかもしれないということを書いている。

相手の思いをはかる「おもんばかる」ということは、人間社会では大切なことだが、自分の利益と天秤にかけておもんばかることには歪んだものを感じる。等価交換という取り引きの基本は、人と人は上下じゃないよってこと、そのものズバリなのではないか。

今回はそういう意味でのお金の話。

震災で大きな苦しみと代償に、ぼくらが得ることができた数少ないものを無にしないように。100年、1000年の未来につないでいくために。

文●井上良太