はじめの一歩!東北追い風おこし隊二人旅 by Kozaitsu

あれから3年もたってしました。
その間周りの人がぞくぞくと東北にボランティアに行く中、腰が重い私は何ができるか?と悶々としながら、日々の忙しさに流され気が付いたらもう3年。そんな私がとあるチャンスから東北に行くことになり、いまからできることを友人を巻き込み二人で悩み考えました。
まずは今回の災害をできるだけ現地の方と同じ目線で見据えて、現地で見て聞いたことを語り継ぎ、なんらかの形で応援できるような復興の追い風をおこしたい。
まずは追い風おこしの初めの一歩として東北の人とつながること!を目的としました。
それでは2泊3日という短期間で巡る石巻・女川・雄勝旅レポートの始まりです。

【1日目】5月3日(土)

初日の朝は早朝から活動開始!7時2分小田原発の東海道新幹線に乗車しました。車内はGW後半初日だけあって車内は超混み混み。東京で東北新幹線に乗り仙台についたのは午前9時半。
さくら野百貨店前の石巻行きミヤコーバス乗り場にはすでにかなりの人の行列が!乗車時間を1つ遅らせ1時間強かけて石巻駅前に到着しました。
駅前は石ノ森キャラクターであふれかえっていてテーマパークに来たような雰囲気に思わずほっこり。駅前を見渡すとまるでデパートのようなピンク色の立派な石巻市庁舎前が。入り口には仮面ライダーが仁王立ちで市民を守っています。

エコな初代仮面ライダーは自転車が愛車
全線復旧頑張れ!仙石線

石巻視察はレンタサイクルでと考えていたのですが町の人いわく、日和山にはレンタカーのほうが無難ということで、隣町のレンタカー屋まで仙石線で移動することに。
1時間に1本しか電車が動いていない仙石線。駅前の『ロマン海遊21』で買ったちゃきんのプレーンとゴマを駅前のベンチで時間が来るまで満喫しました。
ちゃきんは京都のおたべみたいな風貌だったので味も似ているかな?と思ったのですが、そのもちもち感と絶妙な塩加減にすぐに虜になった私。しっかり食べたお昼後なのに2パックあっという間に完食しました。
出発時刻になり乗車した仙石線の車両は情緒豊かな単線&しかも初めて乗るディーゼル車でワクワクしてしまいました。しかし仙石線のディーゼル車のわけを後で知ることに。。。
隣駅のレンタカー屋でようやくレンタカーを借り日和山へ向けて出発。
日和山はお花見のメッカらしく花見客でいっぱいで駐車場を探すのに一苦労。
この日和山に車でに震災の傷跡らしきものは見えなかったので、日和山頂上からみた海岸地帯は時間が止まったままの何もない荒地に息をのみました。。。

咲き誇る八重桜の向こう側はまだ時間が止まったまま

日和山頂上の神社で復興をお参り後、日和山を5分ほど下り途中地盤沈下の後の水溜りを避けながら人が唯一集まっている区間へ。
復興のシンボル『がんばろう石巻』の看板に到着です。
看板のすぐ前では石巻焼きそばの屋台がありお店のおじさんにお話を伺うとことに。静岡から来た旨を話すとおじさんも静岡にいたことが判明しました。
「津波が来たら静岡市はかなり危険だよね。だから駿河城のお堀には念のために船を用意したほうがいいと思うんだけどね。」思いもよらない事態に備えろということです。
また、被災当時の写真を見せながら震災後日和山に避難しながらおこったことをさまざま語ってくれました。おなかに余裕がある方はぜひ看板前の石巻焼きそばを食べながらおじさんとお話を!写真とお話で当時の話を克明に語ってくれます。
『がんばろう石巻』の看板から車で数分のところに津波で被災した門脇小学校があります。津波後の火災によって廃墟となっていますが校庭は野球場として使われているようです。
門脇小から海岸線の津波に削られた県道240号線を経由しながら一路東松島へ。
『青い鯉のぼりプロジェクト』のボランティアがあげた500もの青い鯉のぼりが茶色の荒野の空を勢いよく泳いでました。

記帳ノートを見ると全国各地から様々な方が慰問に来ています

【2日目】5月4日(日)

この日だけはレンタカーを前もって予約していたおかげで朝からの移動はスムーズに。朝9時に女川に向かって石巻駅前のレンタカー屋から出発です。
まずは県道33号線を北上し北上川を目指します。
時間に余裕がある方は道の駅上品の郷でお土産のお買いものもおすすめです。
北上川が見えてきたら県道33号線をそのまま北上川に沿って東に進みます。
のどかな風景ですが川岸に打ち上げ枯れた大木を見かけるようになると、民家があまりないことに気が付きます。
そして通称三角地帯を過ぎると荒野にぽつんと大川小学校の建物が。
いまやすすけてしまった校舎は体育館、プールへのスムーズな移動が考えられており当時はモダンなデザインの校舎として、この地区ではシンボル的存在であったかと思われます。

大川小学校で何が起こったのかこのページで詳しい取材が続いています。当時なにがあったのか?そしてなぜ父兄の方が訴えたのかが分かってくるでしょう。

訪れる人が途切れない大川小学校を後にし、雄勝を目指します。
山間部でこそ民家がぽつぽつあったのに、ローズガーデンを過ぎたあたりから荒地がまた広がります。道なりに『おがつ店こ屋街』を目指すまで途中数件の仮設のお店しか見えません。
後でネットで調べたのですが今まで通ってきた道は町のメイン通りで、両脇には民家が多数あったところです。それが今は基礎も削られまるで元から何もない荒地で、とても集落があったとは思えないほどの現状です。
雄勝町役場跡地に立っている『おがつ店こ屋街』のみうら海産物店の女主人さんにお話を伺ったのですが、この方も静岡の掛川にいたということでなにか静岡と石巻・雄勝とのご縁を感じました。
雄勝の風景を懐かしく感じていたのですが、この風景は海のすぐそばに山が迫っているところや海の近くまで民家があるなど、そうそう西伊豆に似ていているんだなと感じました。
雄勝は復興は石巻市との合併と人口流出のため復興はかなり遅れています。
被災前でも陸の孤島といわれた雄勝。ホタテ養殖や硯石などの多くの支援がまだまだ必要です。

ここにかつて4階建ての役場が。3階まで浸水した役場は取壊しに

雄勝から女川へはブルーラインで山を越えます。途中道を横切るリス!に驚き、桜ロードに咲く桜で癒されつつ女川の中心部へ。海岸線の道の向こうに横倒しのビルが見えてきました。
交差点のすぐ横の七十七銀行女川支店のビル前では保存の署名運動を行っています。町の中心部なだけに教訓として残すか…本当に難しいところです。

署名した後に本当に残すべきか悩んでしまいました。

お昼になったところでおかせいに向かいました。おかせいは大人気で30分待ってようやく目的の特製女川丼にありつけました。私の地元は沼津港が近いせいか海鮮ものに舌が肥えてる人が多く私もたぶんそのうちの一人(なはず)。しかし女川丼の実力やレベル高すぎ!ご飯からしておいしい!で、マグロもうにも甘海老もすべて新鮮でおいしい!これはもう比べちゃいけないです。。。

今回の目的の清水仮設住宅に向かう途中で駄菓子屋さんの『まがりかど』さんにより、お話を伺うと最近子供たちに変化があったとのこと。あまり深くお聞きできなかったのですがいいほうに変化があったのだと確信しました。その後清水仮設住宅の様子を外から伺ったのですが、目的の方にとうとうお会いできず。残念。。。
すぐに次の目的地の『きぼうのかね商店街』へ向けて出発しました。

10分ぐらいで『きぼうのかね商店街』到着。すぐにonagawa986さんにおすすめしていただいた、『セラミカ工房』さんを探し商店街の地図をチェック。
同じくonagawa986さんおすすめの『三秀』もしっかりチェック!美味しそうだけど大盛りだ!おやつにはまだ早い。『三秀』サンはまた次回ということで目的の『セラミカ工房』さんに直行しました。
『セラミカ工房』の店内はおしゃれなスペインタイルがいっぱい!女川のモチーフをセンス良くスペインタイルで再現しています。『セラミカ工房』さんでは商店街の50もの看板をこれからつくっていくとのこと。復興した女川を彩るスペインタイルがとても楽しみです。

購入したタイルを富士山と一緒に撮影

次来るときはスペインタイルの看板を見に来るぞと心に誓いつつ『きぼうのかね商店街』を後にし石巻への帰路につきました。
石巻マルシェでお土産を買いながら、『餃子道場』で石巻焼きそばと餃子を。こちらもメチャ込みで30分待ってようやくありつけました。激混みのお店の厨房で、次々にお客をさばいていく石巻のおばちゃんたち。ちと店内が散らかっていたけどおいしかった!ごちそうさまです。

お腹にやさしい味でした!またもや完食