エントランスにセラミカ工房のタイルプレートが飾られていると聞いて、女川町の災害公営住宅第1号として3月末に完成したばかりのピカピカの運動公園住宅を訪ねた。
ここは震災でたくさんの人が津波から逃れた運動公園の一角。陸上競技場だった場所が災害公営住宅として生まれ変わった。運動公園内の体育館は女川町で最大の避難所だった場所。野球場やテニスコートにはいまも仮設住宅がある。
案内してくれたのは、女川に嫁ぎ、震災後に隣町の石巻に生活の場を移したものの、いまでも女川が大好きというNさん。
8棟が立ち並ぶ集合住宅だが、1階部分を斜めに貫くように通路がつくられていて、棟ごとに分断された「団地」というイメージは薄められている。デザインも明るくシンプルでおしゃれ。中庭や建物外周の緑地には所々に正方形のベンチも置かれている。
斜めの通路を歩いていくと、すでに入居した人の姿があった。外周りの四角いベンチに腰をおろす老人たちの姿もあった。Nさんとはセラミカ工房のタイルを探そうと話していたのだが、彼女の歩幅がなぜか大きくなって、斜め通路を抜け、そのまま敷地外まで通り抜けてしまったのだ。
敷地を出るとそこには避難所だった体育館や、唯一の3階建て仮設住宅が建てられた野球場が目の前だ。
いっしょに行った静岡県の中学生は、災害公営住宅と応急仮設住宅の違いが分からないらしく、しきりと訊いてくる。「あっちは公営住宅じゃないの?」
たしかに、女川町の仮設住宅には外観やつくりが仮設に見えないところが多い。野球場の中の仮設住宅も外見からは普通のアパートのようにも見える。
でも、やっぱり仮設は仮設。何軒も隣の音まで筒抜けだし、冬は寒いし夏は建物そのものが熱くなる。もちろん部屋は狭いし、大人数で暮らしている人もいるし……。そんな話をしながら、仮設団地のすぐそばに真新しい災害公営住宅が建てられるというのは、仮設に暮らす人たちにとってあまりいい気分ではないかもしれないなということを考えたりする。
運動公園住宅の外側を駐車場に向かって歩きながらNさんは言った。
「女川らしさがないのよね」
オープンな雰囲気を意識しているとはいっても、ドアが横に並ぶ集合住宅では、住民が声を掛け合ったり、ちょっとお茶っこしに立ち寄ったりという雰囲気はない。そういう意味かと思ったら、
「四角いベンチに腰かけていたおじいさんたちがいたでしょ。あの雰囲気は女川じゃないの」
どことなく、何もすることがなくてベンチに腰をおろして、何を語るでもなく座っているおじいさんたち。たしかに違和感はあった。四角いベンチだから、背中合わせに座っているというのも、不思議な感じがした。
でも、そういうことではないらしい。Nさんはその話題についてはもう語ることなく、いつもの元気な口調に戻っていった。Nさんが一瞬語った違和感と、自分が感じたことは一致していない。そんな感覚だけが残った。
津波に襲われる以前の女川を知らなければ、わかることができない違和感なのだろう。それは間違いない。
仮設住宅の近くでは、車に乗った人から「あら、Nさん」と声を掛けられて明るく立ち話することが何度もあったNさんが、足早に通り過ぎたくなるような空気があったということを、いまは受け止めておこうと思う。
入口近くのウッドブロックの敷石はまだ工事の途中だ。町として輝きを取り戻すまでにはまだ時間が掛かるのかなと、漠然と考えた。
「きらきら・いきいき・港 女川」その復活を希う。
写真と文●井上良太