労働にではなく資源に課税する、飛びっきりのアイデア

iRyota25

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びっくりした。このアイデアは15年も前に発想されていたんだ。

労働を免税にして資源に課税する

次の問題として挙げたいのは、「なぜ労働に課税されるのか、たとえば資源等ほかのものに課税したらいいのではないか」という点である。労働に課税しなければならないとは、どこにも書いていない。労働を免税にして、資源に課税することにより、労働市場が改善し、資源の無駄も省ける。資源が不足すると、今日のようなむちゃくちゃな無駄遣いをしなくなる。

「生態学的成長戦略」国際ファクター10クラブ会長 フリードリッヒ・シュミット=ブレーク「21世紀システムと日本企業」日経新聞社2000年刊

びっくりした時に、何かが剥がれたり、落っこちたりする譬えがよく言われるが、この一言はまさにそれだ。目からウロコはもちろんのこと、カステラの下の薄紙、ボンタンアメのオブラート、バッテラ寿司の透明昆布(これは剥がさなくていいか)、となりのお兄ちゃんの膝のカサブタまで、剥がして快感なもののすべてがポロリしたような感覚だった。にもかかわらず残念ながら告白しておかなければならないのは、日経新聞社刊行のこの書籍が、自分で買ったものではないことだ。ご近所の図書館で年に2回行われる「リサイクル資料をご自由にお持ちください」イベントで何気なく手にして、そのまま持ち帰ったもの。

自分の知識で歯が立つような代物ではないと知りながら、ロハだからということで貰って帰ってきて、暇つぶしや睡眠薬代わりに使えるかななどと不謹慎な気持ちで所有していたものなのだが……。

本書は大阪市立大学(明治の政商、五代友厚らが設立した日本で二番目の商業学校を母体とする)の商学部・経済学部の設立50周年を機に大々的に開催されたシンポジウムを記録に残した一冊だ。

冒頭には日本でも名の知れた国際政治経済学者のフランシス・フクヤマや各界の著名な企業経営者による論が並ぶ。論文ではなくシンポジウムのレジメのようなものだから、それほど七面倒臭くはない。読めることは読める。でも、なにせテーマが「21世紀システムと日本企業」と超ハードだから、通読しようという気にはなれずにいた。

が、桜の花が終わり、先週までうすピンク色にあふれていた同じ場所が、春の緑にこんもり覆われ始めていた桜公園の川原で、昼寝の日傘代わりに持ってきたこの一冊を何気なくバラッと開いたページの冒頭の文句に釘付けになった。

出会いは突然過ぎるほどに

消費税は上がった。社会保障費も上がっている。ふつうに生活する人たちの財布の中味はキューキューだ。でもそれが世の流れと思って我慢するしかないんだろうなと思っていたところにこの言葉だ。

「なぜ労働に課税されるのか、たとえば資源等ほかのものに課税したらいいのではないか」

(中略)

すなわち、環境にやさしい生態的な政策をとることである。新しいインフラ、新しい掃除機、新しい機器をつくる場合、平均のエコリュックサックは、一トンのものをつくるのに三〇トンを使う。一台の車をつくるのに再生不可能な資材は三五トンも使われている。技術はそれほど高度なものではなく、九五%は実際捨てている。

「生態学的成長戦略」国際ファクター10クラブ会長 フリードリッヒ・シュミット=ブレーク「21世紀システムと日本企業」日経新聞社2000年刊

 EICネット[環境用語集:「エコリュックサック」]
www.eic.or.jp  

ある製品や素材に関して、その生産のために移動された物質量を重さで表した指標。最終的な目標であるサービスに関連付けて、製品の全ライフサイクルにわたって集計される物質量(MIPS: material input per service)を論じるために導入された概念で、1994年にヴッパタール研究所(当時)のシュミット=ブレークが提唱した。

不勉強ながらフリードリッヒ・シュミット=ブレークさんの名前は、この本で初めて知った。しかも、上に引用した部分は彼の本論ではなくて、将来に向けてこんな課題もあるよね、と追記している部分だ。

それでも、彼の「議」はビビッと伝わった。

税とはクニとタミの関係性を示す、その時代時代の指標だろう。ほぼ力関係といってもいいものかもしれない。しかし、有史以来どうしたことかタミはつねに劣勢だった。本来タミの一部分であったはずの(クニを)仕切る(元)タミに。そんな神話時代の話は置くとしても、現行の税金というもののあり方は、考えてみれば難解至極。

精肉店の親友が言うには、ブロックの肉でも決まったラインに包丁を入れると、びっくりするほど肉がばらけるのだというが(あぁまた話を遠くしてしまった)、ブレークさんの議は、贅肉でかたまった現代社会をバラすような絶妙な包丁さばきだといえる。

出口(つまり製品となった時点)で資源を含めた商品に課税するのではなく、入口(つまり原料の時点)で課税すれば、資源は相対的に高価知なものとなり、その浪費をおさえようとする方向に生産も経営も社会も進んで行く。するとこれまで浪費されていたものが節約されることになる。

逆に、これまで手っ取り早い方法として労働に対して高い割合で課税されてきたものが軽減されたら、ブラック企業はおろか、労働に関する多くの問題が明るい方向に向けて動き出す可能性も開けるかもしれない。課税によってこれまで掛けられるほかなかった不必要なレベルまでの「削減圧力」あるいは「人間に対する効率追求」が、少なくとも方向性としては、物的資源と比較した際の相対的な割合現象によって、緩和に向かう可能性が見えてくる。

もっと端的に言うなら、ものに対する「もったいない」の思想の徹底だ。もったいないを実践するのは人間の知恵にほかならず、これまで約半世紀にわたって続いてきた野放図な消費のアウトプットが狭められることによって、ひずみがより強く認識されることになるだろう。

もう少し具体的に考えてみよう。親友である精肉店経営者はどうとるか。資源たる食肉そのものが課税によって高くなっては「勘弁しろ!」かもしれない。でも彼が雇っている10数人の従業員への課税はその分少なくなる。彼のような肉の中間流通業者にとって見てみれば、単なる卸しじゃなく加工して商品化したものを顧客に届けるのが仕事。となれば、枝肉やブロック肉を消費者の需要にあわせて加工する能力がより高く評価されることになる。営業を頑張って顧客を開拓してくれる人たちへの評価も待遇も当然高まっていく。しかも課税で高くなった原材料の無駄をなくすための知恵や新たな商品開発が進む可能性もあるだろう。解体した後に出る骨を回収業者にタダ同然、場合によっては経費までかけて、その結果せいぜい骨粉にするくらいしかなかった従来の扱いは廃れることだろう。たとえば自家製のスープにしてレトルトで販売するとか、フリーズドライにして粉々にした物を遠心分離でエキス分と骨成分を分けてそれぞれ別の販路に売りさばくとか、「工夫して創り出す」道が拓けていくかもしれない。

あるいは江戸時代から続くリサイクルみたいな暮らしの知恵。落語の与太郎の小咄にある、鼻かんだちり紙を乾かしといて……(オチはちょっと汚いが)

とはいえ、たぶんこのこんなことは、10年オーダーでは見えてこないかもしれない。しかし20年、50年という物差しで見たときには、卓見であったと明らかになるはず。

労働を免税にして資源に課税する

「生態学的成長戦略」国際ファクター10クラブ会長 フリードリッヒ・シュミット=ブレーク「21世紀システムと日本企業」日経新聞社2000年刊

100年の未来を考える時には、従来のあり方にとらわれない視点を、当たり前のものとして語る必要がある。

自由って、こういうことなのかもしれないな。

無理に復興という話に結びつけようとしなくても、自然とつながっていく。ここ数年でということではないかもしれない、しかし、傷ついたままの場所の現実は、こんな自由で新しい発想がなければ乗り越えられないところにあるような気がする。そして確かなことは、表現の仕方は違っていても、似たようなことを考えている人がたくさんいることだ。たぶん、そんな人たちの言葉の端々ににじみ出る想いに、自分も共鳴しつつ想いを膨らませているのだろう。

いずれにしろ、これからだ。

枠を外した先にある夢と自由を語りたいね、あの青い海の近くで。


文●井上良太

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