息子へ。東北からの手紙(2014年4月16日)後篇
クニはどうして教育するのか?
「世界史A」最初の授業のテーマはこれだった。しかしこの命題、生徒の立場から見れば、次のふたつの命題に分身して変身する。
ぼくらはどうして学ぶのか?
ふつうに考えればこうなるだろう。でも、こうも言える。
ぼくらはどうして教育されるのか?
主体を逆にして受動態にしただけだから、論理的には「クニはどうして教育…」とまったく同じことになる。でも違和感がある。とても大きな違和感が。
はたして国民は奴隷なのか、そうではないのか――。
オリエンテーションではそんな過激な言葉も飛び出した。
もちろんそうではないだろう。しかし「オレは奴隷じゃない」と叫んだところで何にもならない。受け身ではない行き方を見つけ出さなければ意味がない。
岡田先生の「世界史A」は来年の春、1年間の授業が終わってそれで完了というものではなく、生涯続く旅の始まりの一里塚を刻むようなものなのだと思う。
受動態でないあり方で「主語」を取り戻すことを「学ぶ」時間なのだ。
主語としての岡田さん
岡田さんの「主語」は強い。
父さんは、スーダンと東北で活動するロシナンテスという団体の大嶋さんと田地野さんが講演するイベントで岡田さんと知り合った。
講演会後の懇親会で缶ビール片手に「教師の敗北」なんて話題でしゃべりながらリサーチした岡田さんの人物像は灼けつくほど強烈だった。
何度も被災した東北に通って活動してきた。自らの経験したことを生徒たちにも感じ取ってもらおうとスタディツアーを企画して実行してきた。何百人もの高校生たちと被災した町を訪ねた。原発の問題には自分事として考えている。そればかりではない。憲法改正や集団的自衛権も身近な問題にしている。
岡田さんのFacebookページを繰っていくと、それらのテーマが繰り返し登場する。そしてもちろん、学校での生徒たちとのつながりを記したエピソードの数々。さらに登山や山スキーの豪快で爽快な写真も。
それぞれのテーマに取り組む姿は熱い。遠くから見ていても伝わってくる。多彩なジャンルでエネルギッシュにチャレンジしているパワフルな人。父さんはそんな印象をもっていた。
でも、岡田さんの「世界史A」最初の授業を目の当たりにするようにFBで読んで、少し見誤っていたことに気づいた。
岡田さんが取り組んでいるのは「さまざまなジャンル」に見えるかもしれないけれど、岡田さんから見たら、シームレスにつながっているひとつのテーマにちがいない。
山と山が出会うことはないけど
最近あまり言わなくなったが、一時期よく「父さんは東北のことばかりで」とぼやいていたよな。たしかに東北に行きたい、行って何かしたい、行って誰かに会いたいと考えることが多かったと思う。しかし、だからって「東北という地域」に視界を限定してしまうのは違うと考えるようになった。
さまざまな問題がつながっている。人と人がつながっているということだけでなくて、東北の住宅問題とオリンピック招致がつながっていたり、もう少し見えにくいところでも、被災地の文房具屋さんや電器屋さんが将来をどう描くかということと、都会の集合住宅の買い物難民の問題がパラレルだったり、地元に仕事がないせいで地方都市の若い女性に東京などの都会に生活の場を移す人が急増し、地方都市の将来人口が激減する危機に瀕しているという問題が、東北ではすでに震災以前から構造的な問題として議論されていたり。その結果都市部に若年人口が吸引されていっても就職事情は芳しくなくて非正規雇用の問題、ワーキングプアの問題、ブラック企業の問題……と、問題の関係性はますます広がっていく。そして、どれひとつとってもスイッチひとつで解決するような問題はない。
そうするっていうと、記事を書くってどういうことなのか、という問題に突き当たる。
つながってる中からお手頃な問題を1個ピックアップして、誰かが書いた記事の論調を真似して書いているような奴らなど、あえて言うまでもなくカスである。マスコミであれブロガーであれ、オリジナルの考えを引き出すことができずに、たとえば国が出した指針とか、メディアが伝える空気感を受けて「一日も早く××の整備が進むことが待たれます」なんて言うておる場合ではないのだ。そんなものは無意味を通り過ぎて悪。意味をなさない言葉を蔓延させると、意味あるものを探すための手間が増えてしまう。
かく言う父さんも、そんな無意味なカニのあぶくみたいなことをしてきたと思う。無自覚は罪だ。心しなければ。◆岡田さんの関心の広がりや、テーマへの関わり方を見て、「世界史A」のオリエンテーションを疑似体験して、この頃考えてきたことがくっきりと見えてきた気がする。
人に会うということは、とてつもなく大きい。
直接会ったのがたったの1回であっても、自分が変わるような経験をすることがある。人間は変わっていけるんだ。
◆あらゆる問題がつながっている。どうやら「主語」として動くことが大切らしい。そして、人間は変わりうる。たいせつなことが今日は3つも飛び出した。東北の話はあまり出てこなかったが、やっぱり「東北からの手紙」なのだ。
岡田さんのFBの記事を繰っていたら、もうひとつ最高の言葉を見つけた。話の筋としては、この記事の内容からは遠いのだが、あまりにもいい言葉なので引用させてもらうことにする。心して噛みしめてみて。
山と山が出会うことはないけど、人と人はいつか出会うのだ――。
カッコいい大人はいるんだぞ!
追伸:岡田さんと知り合うきっかけをくれたロシナンテスの東北拠点には、一緒に行く予定なのでお楽しみに!
脱線しがちな文●井上良太
岡田昌人先生の素敵すぎる授業オリエンテーション「世界史A」