阪神・淡路大震災から19年

1995年1月17日午前5時46分、明石海峡を震源地とするマグニチュード7.3の直下型地震が発生し、明石市、神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市および淡路島北部などで最大震度7(当時使用されていた気象庁の旧震度階級では唯一)が記録されました。

死者6,434名、行方不明者3名、負傷者4万人以上、家屋の全半壊24万軒(世帯としては約44万世帯)の被害がでて、当時、戦後最悪の震災となりました。

震災があった日のことは、今でもよく覚えています。朝起きてテレビをつけると、兵庫で大きな地震があったことをニュースが伝えていました。火災が発生し、煙が立ち上る様子を被災地の上空から中継していました。

その時は、まさか6,434名もの方が亡くなるとは夢にも思っていませんでした。しかし、時間の経過とともに状況がしだいにわかってくると、犠牲者の数は刻々と増加していきました。それまで、同じ日本で何千人もの方が亡くなる惨事を知らなかった私は、ニュースから伝えられる犠牲者の数を、現実のものと思うことができないでいたのを鮮明に覚えています。

そして、今日、1月17日。阪神・淡路大震災から19年が経ちます。

自分のなかで阪神・淡路大震災の記憶、関心が薄れていたことに気づいたのは、つい先日のことです。あれだけの悲惨な災害だったにも関わらず、普段の生活において、19年前のことについて考えることはほとんどなくなっていました。

先日、阪神・淡路大震災発生のことを思い返していると、当時、震災で問題となった初動体制と全国各地から集まった多くのボランティアのことを思い出しました。
東日本大震災でも、多くの犠牲者がでましたが、阪神・淡路大震災の教訓がなければ、被害はより深刻だったのではないかと、その時に改めて感じました。

「忘却」。人が持つ長所と短所を併せ持ったもろ刃の機能。記憶が薄れていくことは、避けて通れないことかもしれませんが、次に来る災害に備える意味でも、19年前の地震を風化させたくないと思います。

Text:sKenji