つつじ野 第7回「性格真逆夫婦」

先日、主人から唐突に「なんで俺と結婚したの?」と質問され、しばし沈黙……。黙り込むな~! と突っ込みを入れられつつ出てきた答えは、「性格が真逆だから?かな」

私は新しいこと興味のあることは何でもやってみたい。初対面の方とも気軽に話せる。外へ出るの大好き。楽天家で超プラス思考。
対して主人は人前に出るなんてムリ。初対面の人と何を話せば良いかわからない。出不精、慎重派、神経質、超マイナス思考。

私が暴走すれば主人に諭され止められて、主人がうじうじ悩むと「なぁんだそんな事!こうすりゃいいじゃん気にすんな!」とあてにならないアドバイスでまくし立てる私。
互いに無いものを補い合っているみたいです。

でもそんな夫婦にも危機が訪れます。
震災後、主人は職場が被災し離職。四十歳、再就職は困難を極めます。慎重すぎる性格が災いしたのか、待てど暮らせど就職は決まりません。私が必死で求人を調べて提示しても後ろ向きな反応。やっとこれだという求人を見つけ希望を出しても事前の選考で落ち、面接すら出来ないのです。

でも、性格云々の問題だけでは無かったのも事実です。
主人は震災で仕事場の駐車場から車ごと真っ黒い津波で流され、運よく水が車内に入らず、沈む前に建物の屋根に逃げることができましたが、その際に受けた心の傷はかなり深かったようです。震災の特別番組での津波の映像は、三年近くたつ今でも見ることが出来ません。津波が迫ってくるときの水の音。聞いただけで気分が悪くなるそうです。

「頼むから津波が来た場所の仕事場は・・・勘弁して」と、辛そうに言われたときは、ハッと我に返りました。やみくもに求人情報を見せていましたが、海が近い求人ばかりが手元にありました。再建した沿岸の会社ではいくら求人を出しても人が集まらず、津波の来なかった内地を希望する人が圧倒的に多いという、雇用のミスマッチが被災地では起きていたのです。

今考えるとあの頃の主人はプチ鬱だったのかな? と思います。無気力になり自宅に引きこもってました。
私はイライラして、子供たちに当り散らして、家庭がどんどん暗くなって行きました。
友人からも「ダンナさん就職きまった?」と聞かれるたびに「イヤまだでさ~ホント勘弁してほしいわ~、どっかイイとこ紹介してよ~!」って笑って話していた顔はたぶん引きつってたとおもう。
「まあ震災特例で失業保険長くもらえるし、もらえる内ならね!」
・・・イヤイヤ、失業保険もらえるだけもらうなんて頭に無いよ…。みんなそう思ってる? やっぱり遊んでるように見えるのかな…。

そんな状態が約一年、ついに私はブチ切れました。「もういい! 今日、市役所から離婚届もらって来て!」
鬼嫁です。でも子供がいます、生活があります。主人を追い詰める為の最終手段! 一か八かの賭けでした。でも内心は「本当に貰ってきたらどうしよう…」だったのです。

主人は私の言うことを聞かず、離婚届を取りには行きませんでした。
この一言が効いたかどうか、その後あんなに自信がないと拒絶していた接客業を選び、面接の結果採用! 新しい職場はなんと葬儀社でした。

主人の性格では長続きしないな・・・と内心すぐ辞めるとみていました。でも予想は裏切られ、実は接客業が意外にも楽しいと気づかされたようです。故人やご遺族様のため奮闘する姿には充実ぶりが伺えます。失敗し凹んで帰って来る事もありますが、仕事を覚えていくのが嬉しい様子。

そんな主人を尊敬しているし一番に応援したい! 性格真逆夫婦の奮闘はこれからもずっと続いていくのです。

つつじ野連載について

この記事は石巻エリアの地方紙「石巻かほく」紙上に2013年6月から掲載していただいたものです。女川のママ友から頼まれ、「あんたの頼みなら!」と引き受けたものの、8回分のお品書きを考えると・・・それだけで悩みました。
いざ書き始めると700文字の制限に苦労しました。「この言葉足らずの表現で読む人に本当に伝わるの?」とハラハラしていましたが、いざ第1回が掲載されると朝から電話とメールがとまりませんでした!

8回の連載のうち4回は震災の話です。書いている時には「ここまで書く必要ある?」と悩んだこともありました。それでも「当時の様子が手に取るようにわかったよ」と言ってくれる方も数多くいました。「石巻地域以外の人にも読めるようにしてほしい」と勧めてくれる知人もいました。そんな声に後押しされて、この場をかりて記事を公開させていただく次第です。被災地で起きたこと、被災地のいまについて少しでも知っていただき、そして災害から家族を守ることを考えていただくきっかけとなれば幸いです。

那須野公美