南三陸 長須賀つながりビーチ 子供海広場、7月20日オープン

大粒の雨が降りしきるビーチ。今日はカモメたちの集会場だが、明後日にはこどもたちの歓声でいっぱいになる!

2013年7月18日

ここは南三陸町長須賀の浜。知る人ぞ知る極上のビーチ。以前は多くの観光客も集めてきた。もちろん地元のこどもたちにとっても自慢の海だった。でもあの大津波で海岸線は壊された。防潮堤はまるで海から突き出したオブジェのような姿になり、砂浜は陸上にあった物と海にあった物で埋め尽くされた。

美しかったビーチは消えた。海水浴場としての復活はあきらめかけられていた。

それでも7月20日、ビーチは復活する。
そのきっかけは、去年の夏の沖縄。被災したこどもたちを招待して南の海のひと時を過ごした後、小さな彼ら彼女たちから、こんな言葉が飛び出した。

「やっぱり地元の海で泳ぎたい。」

それを聞いた大人が返す。

「それなら自分たちで何とかしなきゃな。」

ビーチ復活への作業がスタートしたのは今年の3月11日。地元の小中高50人が集まった。夢を現実にするため、こどもたちの一歩が踏み出された──。

海水浴場はこどもたちにとって海そのもの。海の文化を未来に伝えていく場所。

あのパラソルが開いているところを早く見たい

海開き2日前、大雨警報が出ていた日、プレハブの本部事務所で「一般社団法人 災害復興支縁協会 つながり」の代表理事、勝又三成さんが話してくれたのは、長須賀の海の青さよりもさらに美しい物語だった。

しかし、もちろん現実はたやすいものではない。

砂浜にはありとあらゆるガレキがあった。砂浜の表面に堆積しているだけではない。さまざまなガレキがもつれ合うようにして、砂の中に埋まっていた。そんな浜でのビーチクリーンは想像を絶するほど困難な作業だ。

たとえ海をきれいにすることができても、海水浴場としての許可が得られなければ夢を実現することはできない。津波被害の甚大さから行政サイドは当初、海水浴場再開に懐疑的だった。

浜辺をきれいにするだけでは海水浴場は復活しない。駐車場や水道などの施設、避難経路の策定など、想像以上にお金の掛かる難問が次々に現れた。不足した資金は支援する大人たちの持ち出しとなった。

津波による激甚な被害を受けた地域では、拭いがたいほどの海への恐怖があった。「もう海には近づきたくない」と海から距離をおく人々の姿があった。しかし、海とともに育まれてきた南三陸の文化は、それでは失われてしまう。

勝又さんは、この団体の代表理事であるとともに、ダイバーとして海中瓦礫撤去・行方不明者捜索に携わってきた人。海に関わる仕事をしてきた人間として、海に対する近しい感情が人々から消えそうになっていたことは、きっと耐え難かったはず。

困難に挫けることなく海開きをいよいよ2日後に控えた日、勝又さんがとりわけうれしそうに語ったのは、

「いまでは町民の約9割が賛同してくれています。市長も海水浴場を許可してくれただけでなく、単発的なイベントではない活動として続けてほしいとバックアップしてくれています。」

ということ。さらに続けて、

「それに、20日に海開きする場所は、海が見えなくなるような高い防潮堤建設計画の平成28年までの区間からは外れている。その間に海水浴場を運営していくだけでなく、タブの木などの植林による自然な形の堤防を実現させたい。そうすれば、海とのつながりをずっと大切にしていきたいという、地元のみんなの夢も叶うんです。」

オープンするのはとても小さなビーチだけど、その場所はたしかに未来へつながっている。震災でばらばらになったものが、再び関わり合える場所になる。

海開き2日前に聞いたこの記事は予告編。海水浴場のこと、来年以降のこと、ダイバー仲間の連携のこと、そして南三陸の将来のこと。
見ること、聞くこと、体を動かすこと、参加すること…。ずっといろいろ続けていこうと思う。

長須賀つながりビーチ

子供海広場、7月20日オープン

●TEXT+PHOTO:井上良太(ライター)