息子へ。被災地からの手紙(2013年7月15日)

宮城県亘理郡亘理町・宮城県名取市閖上

亘理町の民家を一軒借り受けて、活動の基地としているNPO法人ロシナンテス。その名前はドンキホーテの愛馬の名にちなんでいる。この会を立ち上げたのは九州のある高校のラグビー部出身の人たち。部は違うが、父さんと同じ高校の人たちだった。

大きな仏壇があって、長押にご先祖様の写真がずらりと飾られている部屋で話したのも、父さんと同じ高校出身の大嶋さん。宮城県の海辺近くの町の古い民家で、北九州の言葉を聞こうとは思ってもみなかった。でも、懐かしさなんて言葉では言い尽くせない波のような感情が、大嶋さんと話していて湧いてきた。

この町に来て、この町に居ついて活動して、いや活動とか支援とか、そんな言葉じゃないつきあい、友達みたいなつきあいをしてきて、地元の人たちにも仲間だと思ってもらえて、震災から2年4カ月、この土地に生きて来た彼の原動力は、

「怒り」

だと大嶋さんは言った。それが最大の原動力だとね。
それは、進まない復興の現状とか、行政とか、市長とかそういう外に対する怒りばかりではなく、自分の無力さに対する怒りだと言うんだ。怒りを感じるほどに地元の人になっていると言ってもいい。

でも彼はこうも言う。

「自分たちから率先して何かをやろうということはないんです。ここにいることに意味がある。」

ほとんど地元の人と同じ感覚で生きている。でも、自分たちはこの土地でずっと暮らしてきたわけではない。地元の人たちが動くときに、そばにいる。何かあるときには必ずそばにいる。

「ここにいるだけ。」

愚直で能天気で楽天家。父さんの高校の校風を父さんなりに言い換えればこうなる。愛すべき、そして同時に大嫌いでもあった故郷の性質が、東北で息づいているように感じた。

うまく説明できていないなあ。
今回はたまたま高校の同窓だったというだけで、
ぱっと見て、ちょっと話して、友達になる感覚に似ているか。

ひとまとめにして「被災地はこうです」なんて言うことのできないものがここにもあった。