息子へ。被災地からの手紙(2013年3月10日)

2013年3月10日  宮城県石巻市

ビーチクリーンの二日目。3月11日の前日。その夜、学んだこと。

今日もビーチクリーン活動。昨日は「大物班」の一員として、侵食が進んだ海岸で倒れてしまった木や流木の撤去に勤しんだ。(勤しむって、いそしむと読むんだよ。覚えときな)

ただ撤去するだけじゃつまらないから、波に木肌が洗われてツルツルになった流木や、不思議な曲線美の木なんかを使って、ベンチを作ったりもした。とにかくすごく楽しい活動だった。で、2日目の本日は浜全体としての作業内容も少し変わり、人員配置も大きく変わったので、父さんの仕事も「小物班」に変更になった。

小物、なんて言うと小さな仕事みたいに思われるかもしれないけれど、浜辺に埋まった養殖施設の撤去とか、コンクリート製の水槽のはつりと撤去など「大物シゴト」として名前が付けられるような作業以外のすべてを担当する役どころ。

文字通り、浜辺に散らばった小さながれきを拾うのはもちろん、集めたがれきをバケツリレーで標高差30メートルくらいの道路まで上げる作業、崖地でのビンや缶ゴミの撤去などなど、要するに何でも屋的にたくさんの作業に勤しんだんだよ。

そんな作業を経験した夕べのこと。ここからが、今日伝えたいこと。

3月11日は月曜日だから、今日10日の日曜日には、市内のあちこちで追悼のための集いが開催されていた。

父さんは石巻市のある地域で行われたキャンドルナイトに参加しに行った。前日ビーチクリーンに参加していた知り合いのボランティアさんから誘われていたんだけど、海上で30メートルとかいう猛烈な風のせいで、屋外でのキャンドルは中止になっていて、会場となっていた喫茶店の店内のみでの慰霊行事に変更になっていた。

誘ってくれたボランティアさんはいなかった。喫茶店のマスターもママさんも、以前にお会いしたことがある人だったのだけれど、父さんの顔を見て、ちょっと驚いたような表情をした。20人と少ししか入ることができない店内には、地元の人と、震災直後からサポートに入っていたボランティアさんと思しき人たちでいっぱいだった。

「どうぞ、中に入って」と周りの人が勧めてくれるのだけれど、入って行けない空気が満ちていた。

場違い。招かれざる客。いてはならない人。

そんな人になってしまったような、苦しい気もち。手作りの灯篭の絵を見せてもらってから、その場にい合わせた人たちやマスターに挨拶して、喫茶店を離れた。

3月11日は、震災から2年となる日だけれど、たくさんの人々の命日。その日を境に、暮らしが大きく変わった特別な日。

ビーチクリーンでガンバったゼ!夜はキャンドルナイトに誘われたゼ!そんなノリではもちろんなかったのだけれど、3月11日という日の特別な重さをどれくら意識していたか。

別の場所で聞いた話だけれど、震災から数カ月たった後、自宅の玄関前のがれきを片付けていたら、行方不明だったご近所の方のご遺体が出てきたそうだ。知らないとはいえ、それまでずっとがれきの上を踏んで歩いていたことが申し訳なかった。そんな話をたくさん耳にするんだよ。

被災地と呼ぶのはやめよう、と父さんも思うのだけれど、被災地で暮らしてきた人にしか分からないことがある。厳然として、それはあると思う。

いま、笑顔で話してくれる人の中にも、かならず「3月11日」がある。

Facebookの友達が、こんなことを言っていたのを思い出したよ。3月11日が近付いてくるにつれて、いろいろなことを思い出してしまって、平静な気持ちでいられなくなっている。

3月11日をどう迎えるか。父さんは辛い気持ちを通して学ばせてもらったように思う。