工房は意外な場所にあった。
津波で大きな被害を受けた後、解体に向けての片付け作業が進む石巻市雄勝総合支所1階の奥、ボイラー室と小さく表示された鉄のドアの先だ。
硯の工房として以外、常駐する人もない廃墟の一室で、ボイラーの代わりに大きなストーブと工作機械が唸りをあげる。その雰囲気は映画『千と千尋の神隠し』に登場する釜爺の作業場のよう。
現実世界の仮の工房では雄勝硯の工人、遠藤市雄さんが機械に向かっていた。
市雄さんが作っているのは、雄勝硯の母材・玄昌石を使ったトレー。板状に切り出された石材にくぼみを彫り込んだ上で、手彫りで仕上げ、磨きをかけて完成させる。硯づくりの技術と、美しい「黒」を誇る雄勝石があってこそつくることができる工芸品だ。
震災前、国内の硯の約9割を生産してきた雄勝は、津波によって壊滅的な被害を受けた。7軒あった工房は、住居や作業場の建物はもとより、硯の材料も工具や道具、完成品にいたるまですべて流された。個々の工房の存続はおろか、600年をこえる雄勝硯の伝統すら消えかねない瀬戸際にあった。
そんな状況の中、雄勝硯生産販売組合は、最低限の生産基盤を確保しつつ、硯の生産体制を整えることで、本格的な硯生産を復活させようと立ち上がった。伝統を継承していくためには若手の育成が不可欠だ。しかし、「一人前になるまで10年」とも言われる世界。次の世代に技を継承していきつつ、硯生産の力を蓄えていくため、硯のほかにも石皿や花立などの生産に積極的に取り組んでいる。
ボイラー室に間借りした工房は、雄勝硯の歴史を守るための戦いの最前線である。
市雄さんには以前、石巻で開催された「文房四宝祭り」であったことがある。(⇒関連記事)
柔和な表情で硯づくりについて語ってくれた印象とは異なり、工房の中の市雄さんの眼差しは強く鋭いものだった。
たとえ機械を使っての「彫り」でも、一瞬を制御する感覚が欠かせないのだろう。
作業中は集中しているから口をきいてもらえない。「昔に比べたら楽になったんだよ。機械がなかったころは、ぜんぶ手で彫っていたんだからね」。そんなふうに話してくれるのも、一枚彫り終わった後、母材をセットする時だけだ。
彫りの深さをノギス(精密な計測器)で確認する。市雄さんの閉じた口から声は聞こえないが、「よし!」という言葉が確かに伝わってきた。
「以前より楽になった」という機械彫りにも、たくさんの技術と工夫が込められている。「仕上がり確認を繰り返しながら、少しでもよくできるように…」。続く言葉は機械の音にかき消される。
機械のモーターを止め、トレーの仕上げ彫りを実際に見せてくれた。ノミの柄を肩に当てて、体全体で石を掘る。ノミ先に石が粉となって飛ぶのが見えるだろうか。こんな力をかけながら、平滑で美しい面を掘り出していくのだ。硯とまったく同じ技が、この製品にも込められている。
モーターを止めた後、市雄さんは機械の前で話せなかった分、たくさんのことをレクチャーしてくれた。(ありがとうございます)続いて雄勝石(玄昌石)の特徴について。
「こうやってタガネを直角に当てても割れないんだけどね…」
「タガネを石の目に沿って叩くと…」
「こんな風に…」
「簡単に割れるんだ」
この特徴を生かして、天然の玄昌石を割ったもので硯と合わせ蓋をセットでつくることができる。墨との相性の良さ、美しい石の色合いに加えて、雄勝硯が高く評価される理由のひとつだ。
機械がなかったころの硯づくりについても教えてくれた。
石材にケガキ(罫書き)で彫る場所に印を付けて…、
後はひたすら手で彫り続ける。「手で」とは言うものの、実際には体全体を使って掘り進めていく。
「これからの若い人たちは、こんな風に硯をつくることはないだろう。機械で荒彫りした上で、商品として仕上げていく技術を学んでもらうことになるんだろうね」
もちろん、荒彫りに機械を活用することは否定しないが、ベテランたちは手掘りしかない環境で技術を身に着けてきた。これから若い職人さんたちが成長して、商品として売れる硯を作れるようになった後、さらに高みを目指すために必要なものは何なのだろうか。市雄さんの背中を見ながら、そんなことを思った。
「使っているノミは、工人によって形状がみんな異なっているんだよ。たとえば硯の角の部分を丸く彫るのにしてもね、工人によって彫り方や力の入れ具合が違うんだ。体の大きさとか力の強さも違うからね。だから、ノミの先端を自分なりに調整したり、彫りやすいように微妙に改造したり。そういう考え方というか、工夫する気持ちも若い人たちには伝えていきたいんだ」