息子へ。被災地からのメール(2013年2月4日)

2013年2月4日 減災について

東北に行って、期せずして同じような言葉を聞いた。それは、震災を思い出す瞬間のこと。

まず下敷きになったお話は、父さんの会社の同僚の言葉。彼は阪神・淡路大震災で被害を受けた尼崎市の出身で、震災当時は小学生だったそうだ。それでも、「1月17日になるまで阪神・淡路大震災のことを忘れていた」と彼は言った。一緒に東北を取材して回ったこともある人なんだよ。ふだんの生活の中に記憶が埋もれてしまうことがあるというんだ。

ひまわりの写真展で出会った、やはり尼崎出身の人もよく似た話をしてくれた。

「被災地にボランティアで入っていたのに、自分が経験した阪神・淡路大震災のことはすっかり忘れていたんです。不思議ですよね。でも、こちらに来てから一度、震度6くらいの大きな余震があったんです。その瞬間、ものすごい揺れで恐かったこと、地震の後、不安で仕方なかったこととか、いっぺんに思い出したんです。震災を思い出すのって、こういうことなんだと実感しました」

大きな余震の中で、過去の震災の恐ろしさを思い出す――。あまりにも恐ろしい目に遭った経験は、ふだんの生活の中では記憶の奥底に沈んでいるけれど、同じような危険な状況に陥った瞬間、スイッチが入って、身を守らせようとするのかもしれない。

同じような話は女川でも聞いた。

「防災無線は3メートルの津波とか、5メートルの津波、10メートルの津波と津波警報の予想高さをずっと言い続けていたけれど、不思議と『逃げろ!』という言葉を聞かなかったんだよね。自分は1960年のチリ津波の時の経験があったから、発泡スチロールが川を遡ってくるのを見た瞬間、『津波が来るぞ!みんな山へ行け!』って言って裏の竹藪に走ったんだけど」

チリ津波を経験した人は、津波の恐ろしさを知っているから、今回の巨大津波でもまず逃げることを考えた。経験していない人は、何メートルの津波と言われても恐ろしさが分からないかもしれない。そんな話だった。

でも、同じことを女川在住の別の人に聞いてみると、まったく逆の言葉が聞かれた。

「チリ津波は大したことなかったんだよ。俺は女川の町なかに住んでいたけど、腰よりちょっと上くらいだったな、家の中で。だからまさか家が流されたり、ビルがひっくり返ったり、船が陸に上がったりなんて想像しなかったんじゃないか。今回の津波では大したことねえと多寡をくくって死んじまった人も多かったと思うよ」

チリ津波の時、女川の駅前を浸水させた津波の写真を見たことがある。高台から様子を見ている人の前で、女川駅前が水浸しになっている写真だったけれど、たしかに駅舎も駅前の建物も流されずにたっていた。

同じ津波なのに、ずいぶん受け止め方が違うものだと思って、もう一度竹藪に逃げたという人に聞いてみると、チリ津波の時にはまだ結婚前だから、女川ではなく万石浦の近くに住んでいたという話だった。

「水が壁のようになって町に打ち寄せてきたんだよ。垂直の波が町にやってきて、引き波の時にいろんなものを海に持っていった。でもチリ津波の時は津波の間隔が長かったから、一波目と二波目の間に浜辺に打ち上げられた魚とか貝なんかを拾っている人はいたよ。そんな余裕はあった。でも押し寄せてくる津波は高い壁みたいに切り立っていて、恐ろしかったよ」

ほんの5キロほどしか離れていない場所なのに、地形によって津波の印象は全然違ってくる。石巻湾と万石浦をつなぐ水路が狭いために、津波の高さが増したのかもしれない。

「今回の津波では万石浦は大きな被害はなかったが、それは橋のところに大きな船が引っかかって水が流れ込むのを防いだからで、次に同じような津波が来たらどうなるかは分からないよ」とも教えてくれた。津波は地震の規模や震源の距離、地形のほか、さまざまな要因で被害状況が変化するものらしいのだ。要因の中には偶然だって含まれる。

いろいろな話を聞いて考えさせられた。震災の記憶がフラッシュバックした次の瞬間、どんな行動がとれるのだろうか。さらに、大きな災害を経験したことがない人は、的確な避難行動をとるのが難しいのだろうか。

「前の被害が大したことなかったから大丈夫」と思うのも、「以前は大丈夫だったが、今度はそうとは限らない」と行動に移すのも、言葉で考えるという点では同じことだ。だから、たくさんの人から話を聞いて、さまざまな被害状況を想像したり、事前に避難方法を考えたりすることで、きっと身を守るための行動がとれるはずだと信じたい。

大震災を経験した人たちは「伝えることが生かされた者の使命」と言ってくれる。大変な経験をしているのにだ。

だから、話を聞かせてもらった自分たちは、「生きること」、「生きのびること」をもっと真剣に考えなきゃいけないと思うんだ。