2012年10月24日◆気仙沼(宮城県)
いよいよ、という表現は自分でも変だと思うが、今日からはいよいよ父さんにとって初めて行く地域になります。
南三陸を歩いた後、レンタカーで気仙沼に入りました。坂を下り市街地に入ったとたん、まるで戦災の焼け跡のような光景が目に飛び込んできました。戦争の焼け跡など実際には見たことはありませんが、そうとしか思えない景色でした。
道路のかさ上げで歩きにくくなった町には、人影がほとんどなく、ただ工事車両が走り回るだけです。解体されずに残された廃墟がまるで墓標のようでした。
気仙沼の町中に残された「第18共徳丸」も間近に見てきました。全長60メートル、330トンと数字で言われても想像できないでしょうが、基礎だけが残る街並みの中に、何本かの鉄骨で支えられた共徳丸の姿は、場違いで、異様で、そしてただただ巨大でした。
船の下には何台かの自動車がつぶされて下敷になったままです。建物の残骸も船の下には残されています。そして船体をよく見ると、ところどころに火災で焼けただれたペンキ。津波と火災で大きな被害を受けた気仙沼の象徴のようにも感じました。
気仙沼でも何人かの人に話を聞きました。きみに伝えたいのは、共徳丸近くの鹿折(ししおり)地区で、廃墟の中で再スタートした理容店「鹿折軒」でのことです。
お店の方々の避難状況や町の被害について話してもらった後、「ところであなたは静岡に住んでいるの?」と名刺を見ながら聞かれたのです。
自分たちの場合は、地震があってから津波までに30分の時間があった。それでもギリギリの思いをして生き延びることができた。亡くなった方もたくさんいる。でも、ニュースとかで見ていると、静岡とか神奈川じゃあ、地震から津波までの間が4分とか5分しかないっていうじゃない。地震が来たらどうするつもり?ちゃんと準備はしているの?
「町の復興はまだまだだね」と語り、仮設の店舗で苦労を続けられている方が、遠く離れた静岡や神奈川のことを心配してくれるのです。
「津波てんでんこ」って言葉、知ってるよね。4分、5分しかないんだったら、てんでんこしかないかもしれないなあ。でも、逃げ道とか家族との待ち合わせとか役割分担とか、事前にしっかり話し合っておくんだよ。
理容店を出ると、そこは一面の廃墟です。ほとんど家は残っていません。そんな場所だから商売も大変なはずなのに、「いつか町に人が戻って来た時のために」と仮設の店舗を開いている鹿折軒さん。
東北の沿岸部の人たちの大変な思いを伝えて行くことで、日本中の人たちが震災を「自分の身に起こること」と感じるようにならなければと、強く思いました。
今夜は復興横町に“出張”する予定なので、この辺で。
もしも、今晩地震が起きても困らないように、どこに逃げるか、どう行動するか、この機会に必ずしっかり考えておいて下さい。