地獄の1年
小学校6年生の担任は、当時40歳ぐらいだったと思う。この先生がとにかく厳しくて、ぼくらは毎日ヘトヘトだった。
毎日2時間目が終わった後の15分休みには、全員で1,000メートル走をやらされた。毎日ですよ。最後の1周になると、先生はストップウォッチを見てタイムを読み上げながら僕らにプレッシャーをかける。
先生の機嫌が悪い日は、椅子に座ってはいけなくて、床に正座をして授業を受ける。1時間目から6時間目までずーっと。冬の床は地獄です。
テストは、親に見せて確認のサインをもらってからまた先生に見せなければいけない。(僕は親に見せないで自分でサインしていた)
先生のその時のお気に入りの曲を朝の会と帰りの会の2回、全力で歌わされる。「真っ赤なスカーフ(宇宙戦艦ヤマトの挿入歌):ささきいさお」や「異邦人:久保田早紀」あたりは死ぬほど歌わされた。先生のために。運の悪い奴になると、家庭訪問の時、親の前で歌わされたらしい。
「オレは女には手を上げない」と言いながら、女子にもきっちりビンタをしていた。
こんなことに毎日耐えた1年間だった。マンモス校が新設校によって分裂し、6年生は2クラスだけ。校舎のその階に教師は6年生の担任ふたりしかいない。そんな、ほとんど密室状態の中で。教師という独裁者が作り上げた異様な空間がそこにあった。
でもそれを親に話すと「いんんだよ先生は厳しい方が」と笑っていたし、不思議と僕もその先生のことは嫌いではない。その理由は自分でもわからない。
まあしかし、何だったんだろう、あの1年。素直に従っていた12歳の自分と同級生がかわいく思えてくる(笑)。
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