【シリーズ・この人に聞く!第190回】歌人 俵万智さん

デビュー作である歌集『サラダ記念日』は280万部のベストセラー。代表的な短歌【『この味がいいね』と 君が言ったから七月六日はサラダ記念日】では何気ない日常を短歌にし、身近な視点から感情の機微を伝えた。デビュー作から33年経ち、昨年出版した歌集「未来のサイズ」で歌壇の最高峰とされる迢空賞を受賞。世相も織り込む三十一文字で表す豊かな世界、子育てで感じた思いなどお聞きしました。

俵 万智(たわら まち)

1962年、大阪府生まれ。早稲田大学第一文学部卒。87年刊行の歌集「サラダ記念日」で翌年、第32回現代歌人協会賞を受賞。以降、幅広い執筆活動を行い、96年より読売歌壇の選者を務める。歌集に「かぜのてのひら」「チョコレート革命」「プーさんの鼻」(第11回若山牧水賞)「オレがマリオ」「とれたての短歌です。」「もうひとつの恋」(以上2冊は写真・浅井慎平との共著)、小説に「トリアングル」、エッセイに「あなたと読む恋の歌百首」「かーかん、はあい 子どもと本と私」「旅の人、島の人」など。2004年、「愛する源氏物語」で第14回紫式部文学賞、19年に「牧水の恋」で第29回宮日出版文化賞特別大賞、21年に歌集「未来のサイズ」で第36回詩歌文学館賞、第55回迢空賞を受賞。

言葉で捕まえた表現に、読み手が意味を付け加える。

――一世を風靡した「サラダ記念日」からずっと俵さんの短歌ファンです。特にコロナ禍となってからもたびたびTwitterなどで歌を拝見して沁みてました。歌人を志されたのはどんなきっかけがあったのでしょう。

大学生の時に受けた佐佐木幸綱先生の授業がおもしろくて。先生は歌人で、それで短歌に興味を持ちました。もともと本を読むのが好きで、特に言葉に関するもの、方言、敬語、言語学の本。大学では日本文学科で一通り日本文学の古典から近現代まで網羅しつつ、それ以外も国語学という日本語を学問する、言葉そのものの勉強が好きでした。

旅と酒の歌人・若山牧水は、恋の歌人でもあった―のを俵さんが読み解く評伝小説。

短歌は好きで作っていて、歌人を職業と捉えておらず大学卒業後は高校の教員になり丸4年勤めました。87年にサラダ記念日が出た頃は、高校の教員2年目で、その後も2年続けました。まだ20代で、生徒は弟や妹のような存在。書く仕事が増えてきたので区切りをつけました。

――高校生に国語を教えること。短歌を作ること。それぞれ別のフィールドですが、どんな先生でしたか?

古文や現代文は好きでしたけれども、私は漢文には特に興味がなくて。でも教えるからには好きになろうと生徒に教える中で漢詩が好きになったり。過去のものを手渡すだけでなく、自分も現在進行形で読者であり、作り手である。短歌を作っていることも生徒たちに話していましたし、教え方がうまいベテランの先生には叶わないけれど、自分がビビッドに文学に関わっているということは、新米ながら大切にして子どもたちに伝えたいと思っていました。

――「牧水の恋」という作品を拝読して、俵さんが語り部として牧水の詠んだ歌の解説をされ、まるで映画のような展開です。作品で伝えたいことはどんなことでしょう?

作品をどう読み取れるかが文学の楽しさで、正解はありません。私はこういうふうに牧水の作品を受け取りました、という一つの形です。言葉が好きで、短歌が好きというのが基本で、はじめに言いたいことがあって短歌を作るわけではない。日々の暮らしで感じたことは、そのままにしていたら形にならず、思っても思いっぱなし。それを言葉で捕まえて、形にして残したい。読み手がどう受け止めるか。私が感じていることを共感してもらえたらうれしいし、もしかしたら牧水が意図した以上のことを私が読み取ることもあるように、私が作る歌を、読む人がその人なりに、また意味を付け加えてくれたら。短歌というのはとても短い詩の形で、そういうことが起こりやすい。作り手としてはそれもまた楽しみ。一つのことを伝えるために一首、というわけではないんです。

――読み手が意味をプラスするからこそ楽しいわけですね。「牧水の恋」を手掛けられたのは何かきっかけが?

若山牧水賞を第4歌集で受賞した10数年前から、牧水の若い頃の恋愛について書きたいなと思っていました。その時は宮崎に住むことになるとはまったく思っていませんでしたが、不思議なことに牧水の故郷である宮崎に住むことに。ここには短歌の先輩が多く、高校生対象の牧水短歌甲子園という催しがあって、その審査員を石垣島にいる頃から務めていました。年に何回も宮崎に来ていたので土地勘もあり、知り合いも多かったのです。そうした縁で宮崎に全寮制のユニークな学校があると見学をしにいったら、息子が気に入って宮崎に引っ越すことになりました。

お国自慢のために牧水を選んだのではなく、昔から牧水の作品をと思っていて今書かなくては、という気持ちにさせられて。そもそもは牧水賞受賞があったからこそですので、宮崎とは縁があったのでしょう。

成績優秀、苦手でも真面目に取り組む姿勢。

――テーマありきの創作というより、日々の暮らしを丁寧に紡いでそれを言語化し、それを受け止めた人がまた何かしら思いを抱く。そういうプラスαな表現活動なんですね。個人的に「手伝ってくれる息子がいることの幸せ包む餃子の時間」という短歌も好きです。

息子は高3で今秋18歳になります。全寮制の学校へ通ったのは思いがけないことではありましたが、本人が行きたいと希望し。反抗期に物理的に離れて、反抗しそびれたかなと思います。餃子の歌はコロナ禍で学校が全国休校になって久しぶりに長い時間一緒にいた時の作品です。寮に入っていなければ、こういう時間がたくさんあったかもしれない。そんな中で生まれました。

本が大好きな6歳の頃。

――難しい時代にもかかわらず愛情豊かに接していらっしゃるなぁと。俵さん自身はどんなお子さんでしたか?

手の掛からない子どもだったとよく言われます(笑)。本を読むのが好きで、運動は苦手。本は海外のですとリンドグレーンとか、江戸川乱歩を。勉強もよくできました。でも家に籠りきりというわけでなく、外で友達と遊んだり。小学生高学年の頃はフィンガー5というアイドルが好きで振付真似たりして遊んでいましたね。弟は9歳半離れていたので、きょうだい喧嘩もなく、よく面倒をみていました。今も仲良しです。

――そのくらい離れているとかわいいですよね。当時、何か習い事はされていましたか?

ピアノを8年ほど。小学生でソナタが終わっているくらい進みは早かったですが、中学生になる時にやめました。全然好きじゃなかったんです。真面目だから続けていて、進度がかなり早くて、ピアノの先生も勘違いして中学生になる時に「もっと上の先生をご紹介しましょうか?」と言われました。中学生になったら勉強したいからやめます、と適当な理由をつけて、やっとやめられました。ピアノは自分にとっては楽しくないもの。忍耐力だけはつきましたが、音楽は今でも苦手ですし、いい思い出ではないです(笑)。

――嫌いでも得意にできちゃう特技があるんですね。でも俵さんの短歌はリズムもあって音楽のセンスも感じます。中学生になって何か一生懸命にやっていたことはありましたか?

中学は父の仕事の関係で、生まれ育った大阪から引っ越し、後半は福井県で過ごしました。勉強が大好きで、すごく成績もよい優等生でおもしろみのない人生(笑)。勉強が好きなのは今も。知らないことを知るって楽しいし、勉強が苦にならないタイプです。息子も勉強は好きですが、好きなことを深堀するタイプです。私は満遍なく点を取って、苦手科目があればちゃんとやろうと取り組みましたが、息子は好きなことは熱心で、好きじゃないことは後回し(笑)。親子でも違いますね。

好き×努力の掛け算になることを楽しんで。

――3.11のあった10年前に沖縄・石垣島へ移住されましたね。

最初から移住しようと思っていたわけでなく、春休みだけ少し東北を離れようと。友人がいたので行ったのですが小学生男子にとっては天国みたいないい所で、本当に子どもがイキイキしていた。東京や仙台の都会の子育てで足りないなぁと一生懸命に補っていたものが、そこには全部あった。

デビュー歌集「サラダ記念日」は280万部の大ベストセラー。

自然の中で遊ぶこと。子ども同士で遊ぶこと。地域社会全体で子どもを見ること。母一人子一人なので、いろんな大人や子どもと接することを心がけていましたが、なかなか都会では努力しないとならなくて。石垣島には何の苦労もなく、ありふれた日常としてあったので、これはアリだと思って移住をしました。

――よかったですね。沖縄の生活が丸5年、そこでの経験はいかがでしたか?

石垣島での5年間は、自然の中で子ども同士が野放図に遊び、大人からも鍛えられ、生きる力がつきました。机の上の勉強では得られない知恵と言いますか。島の中でも辺鄙な所で、全校児童10数名という学校は大家族のようで本当に豊か。小1から中3までのいろんな学年の子が一緒に遊ぶとなると、一つの遊びでもルールを工夫したり、小さな子をいたわったり、年上の子にこれはできないと自分たちで交渉したり。すごく社会性が身につくなぁと。人数が少ないと社会性が育たないという方もおられますが、傍でみていると逆でした。

魚の釣り方、生き物の捕まえ方、触るといけない植物。教えてもらったことを次の世代にまた教える。自然の中でのそういうやり取りはゲームと違って二度と同じことはない。そのたびに頭を使って自分も対応しなくちゃならないし、遊ぶことで子どもは成長すると思います。

――コミュニティで遊びながら成長するのは理想的ですね。習い事を考える親へ何かアドバイスをいただけますか。

息子が東京にいた時、2歳児で英語を習っていないのは10人いたら2人くらいの少数派でした。親はいろんな選択肢を用意してあげたいと思う一方、情報がたくさんありすぎると不安になります。RとLが聞き分けられなくなったら私のせいだわ、と思ったりしました(笑)。

息子も習い事はいくつかしましたが、選択基準は「子どもがそれをやりたいかどうか」。習い事には、足し算になるものと、掛け算になるものがある。少なくともなにかやれば足し算になりますが、その子の楽しんでいるものは掛け算になる。掛け算になるものなら思いきりやらせてあげたらいいかな。好きなことに努力が掛け合わさるとすごく化ける。好きでもないことを努力していても、私のピアノがそうでしたがダメですし。好きだけで努力しないのももったいない。好き×努力できるジャンルのものがお子さんにあれば、それは応援してあげたら大きなプラスになりますよね。

――確かにそうですね!ちなみに息子さんはどんな習い事を?

仙台にいた頃は水泳。ピアノは私は嫌いでしたが、頭の働きがよくなるというのを本で読んで見学に。でもまったく興味を示さず教室内を逃げ回っていて1,2回でやめました。沖縄ではドラムを。これは今でも好きでやっています。

習い事は意味のあることだと思いますが、結局大人の管理の中でのこと。安心して任せられるのは親としてありがたいですけれど、子どもは子どもの中で遊びながら育つというのが大きい。そういう時間を少しでも多く子どもたちに持ってほしいですね。