【シリーズ・この人に聞く!第174回】文筆家 堀越英美さん

「スゴ母列伝 いい母は天国に行ける ワルい母はどこへでも行ける」というタイトルからして笑える著書は、日本だけでなく海外を含め歴史に残る母の生きざまを紐解く伝記集。「少しでも育児を間違えたら取り返しのつかないことになる」という思い込みにハマりがちな現代の母親に希望を与えてくれる「スゴ母」を、著者の視点から軽やかに語っていただきました。

堀越 英美(ほりこし ひでみ)

文筆家1973年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。著書に、『スゴ母列伝 いい母は天国に行けるワルい母はどこへでも行ける』(大和書房)、『女の子は本当にピンクが好きなのか』『不道徳お母さん講座』(河出書房新社)など。翻訳書に、『ギークマム 21世紀のママと家族のための実験、工作、冒険アイデア』(共訳、オライリージャパン)、『世界と科学を変えた52人の女性たち』(青土社)、『ガール・コード プログラミングで世界を変えた女子高生二人のほんとうのお話』(Pヴァイン)がある。二女の母。

ペンの力で管理教育に抗う中学生。

――新刊「スゴ母」大変楽しく読みました。笑いのツボが刺激されまくりで、偉人伝でありながら勝手ながら異人っぷりにシンパシーを感じました。古今東西の人選もユニークですが、堀越さんの書き方がおもしろい。今日は「スゴ母」を執筆された経緯や、堀越さんご自身についてもお聞かせいただきます。地元は東京ですか?

いえ、横浜市金沢区で育ちました。小学校、中学校と地元の公立校です。中学時代は管理教育全盛期。髪型からスカート丈、靴下の長さも細かく決められていて、少しでも違反すると体罰です。私は真面目な生徒でしたが理不尽なことが許せなくて。ひとりで「管理教育反対!」と書いた壁新聞を作ってました。でも誰も付いてきてくれなかった。校則に文句は言うのに、一緒に反対運動やらない?と誘うと、うわ~っと引く(笑)。もともと理屈っぽいたちだったこともあって、グレるよりはペンの力で闘ってやる!と思ったんです。

――実は私も金沢区に幼少期住んでいましたが、当時の中学が酷い暴力教師の巣窟。校則に歯向かうとサンドバック状態で言われなき暴力をふるわれました。ペンの力、壁新聞で闘うとは賢い。高校は?

高校も近所にある市立高校でいいと思っていましたが、校則反対運動をする私に「おまえにぴったりな高校がある」と先生に紹介されたのが県立横浜緑ケ丘高校でした。校則がなく自由。それまで聞いたこともなかった学校でしたが、校則がないことに惹かれて、進学先はそこに。今思えば、左翼な学校でした。

――緑ケ丘高校は超優秀で、成績オール5とかでないと行けない進学校ですよね。

当時は学区制もあって、そこまでではなかったです。覚えているのが、社会の授業中に全共闘の勉強で「バリケード封鎖」を実際やってみようと、教室の入り口に机を積み上げたこと。その学校は1970年代の高校全共闘で校則が撤廃されたという歴史があったからだと思います。管理教育と体罰の中学から、自由を満喫できる高校へ行けて、自由は最高だ!と謳歌した3年間でした。

――反骨心があってもお勉強がよくできると教師も一目置きますからね。習い事は何かされていましたか?

貧乏なわけではありませんでしたが、勉強よりも家の手伝いが重視される教育方針でした。当時一か月2000円で公文が通えたので、それだけは「おかあさん行ってもいいよね?」と聞いて、算数だけ2年生から、後々、国語も始めて中1くらいまで通いました。英語は小4から始めて中3まで。ピアノは高かったので反対されましたが、公文は大丈夫でした。誰とも競争しなくていいし、人の話も聞かなくていいし。公文の先生は何も怒らず、優しい先生でしたね。うちは弟が2人ともスポーツが得意で、父は刑事で、ボクシングやラグビーをやっていたので家全体が体育会系。勉強ができることに重きを置くわけでなく、スポーツのできない私は家の中では落ちこぼれ。『本ばかり読んでいると頭でっかちになる』と言われながらも、反抗心から本を読んでいました。

就職氷河期を経て、ITで頭角を現す。

――堀越さんの小学生時代は公文で鍛えた反復力もあってメキメキ学力は伸び、本をたくさん読み。習い事ではなくても充実していましたね。部活はされていたんですか?

近所に図書館があったので、本は借りてたくさん読みました。中学では管弦楽部という吹奏楽部とは別の部隊に所属。楽器はヴァイオリンを弾いていました。高校に上がってからはサボることを覚えて幽霊部員でした。

「世界と科学を変えた52人の女性たち」(青土社)は翻訳を手掛けた。

――早稲田大学に進学されて、学生時代はどんなことをされてました?

英文でも仏文でも自由に講義を選べることが魅力で、第一文学部文芸専修を選びました。本当は小説を書きたい人が行くような専修で、大きく分けて創作と批評のコースがあり。私は特に小説が書きたいというより、自由度が高かったからそこにしたのですが。そこそこ真面目に勉強しつつも、自由に甘えて大学に付設された大きな図書館でたくさん本を読めることを楽しんでいました。サークル情報誌を作る出版サークルで4年間過ごしました。紙の情報誌でしたが、当時DTP(desk top publishing)の走りでしたのでパソコン触って楽しいなぁと。92年入学、96年卒業でしたので、めちゃめちゃ就職氷河期でした。

――わかります。私は少し年上ですが、その当時はすでにコピーライターの仕事をしていたので景気を肌で感じてました。

当時の就職活動は葉書で資料請求をしてましたが、女の名前で資料請求をしても全然資料が送られてこなくて。何でこんなに返信がないのだろう?と、同じクラスの留年が決まっていた男子のところに遊びに行くと、山のように資料が溜まっていて「頼んでもいないのに送られてくる」とぼやいてました。男女でこんなに違うのか…と愕然としました。

――大変な時代に突入でしたね。学生から男女の扱いが違うなんて露骨過ぎます。卒業後はどんな仕事からスタートされました?

就職はできず、出版社でアルバイトを始めました。途中から就職活動をして第二新卒のような扱いでIT系の小さな出版社に入社。そこでIT系のムック本を作って3年くらいで辞めました。学生時代に操作し慣れていたMacを買って、仕事を終えて息抜きに使うようになって、夜な夜なHP制作を始めました。それが局所的にですがちょっと話題になって。尊敬していた方に声を掛けていただいてフリーになったんです。しばらくフリーランスで編集とかライターの仕事をしていました。が、やっぱり就職したいなと思うこともあって、紹介でまたIT系の仕事に転じました。結構転々としましたが、そのうち仲間が会社を辞めていって、自分も居づらくなって、どうせ辞めるなら出産しようと。行き当たりばったり(笑)。仕事をしながらママになろうというガッツはなかったんです。

スゴ母は、他人のことには無頓着。

――スゴ母の古今東西ゴッドマザーもぶっ飛んでいておもしろくて、人選だけでなく、ひとり一人の歴史の紐解きかたがツボに入って笑えます。この本を書くことになったきっかけは?

もともと『不道徳お母さん講座』で明治、大正の歴史を調べていたから書けたというのはあります。養老猛先生のお母様は、田島陽子さんの対談本で読んだことがあってダントツおもしろかったんです。なんなんだ?この人は!という衝撃で。明治生まれの女性とは思えないくらい自由奔放な受け答えがずっと印象に残っていました。最初は、編集者の方に何か書いてみてと言われてましたが、なかなか思いつかなくて。雑談のうちに岡本太郎の母、岡本かの子の話が出て、彼女のような人が他にもいるのでは?という話になったんです。翻訳の仕事で「世界と科学を変えた52人の女性たち」という伝記本を手がけている中で、イレーヌ・キュリーというキュリー夫人の娘さんの話も印象的でした。マリー・キュリーが娘のノートを2階の窓からぶん投げた話が、それまで自分が抱いていたキュリー夫人像と違っていて面白く感じました。岡本かの子とマリー・キュリーの他にもおもしろい女性がいそうだなと思ったんです。連載しながら調べて探していこうということに。

書籍にサインをお願いしたらお名前と☆死ぬこと以外☆かすり傷☆という一言が(笑)。

――どの方もおもしろいのですが、特に青山千世さんは、あの時代にこういう生き方をされている女性がいたんだ!という驚きもあってグイグイ読めました。堀越さんもスゴ母なのでは?

明治初年代はわりと自由だったことはあまり知られていないのですが、男女平等の機運が強かったんです。武家の娘だから学問をさせてもらえたという環境もあったと思いますが。私自身は全然普通の母で、だからこそスゴ母のエピソードを知りたいと調べることになった。たぶんスゴ母は他人のエピソードを知りたいとは思わないし、他がどうでも知ったことではないはず。例えば保護者会でみんなが紺のスーツを着るというなら、私も同じように紺のスーツを着てしまうタイプ。でも無難にして他人に合わせるにはハミダシてしまうことも多々ある…という母です。たまに合わせるのが辛くなってワァ~!っとなりますが、スゴ母を知ると皆当たり前のようにハミダシているので、私くらいのハミダシなんか全然大丈夫という安心感を持てます。そもそもスゴ母は保護者会にも出なさそうですが。

――突き抜けてますもんね。ところで堀越さんはライター歴20年くらいになりますか?ずっと書いてらした?

会社勤めをしながら、依頼があれば書いていました。出産後は大学で派遣社員として働きながら、書いていたこともあります。下の娘は軽度の自閉症スペクトラムなので、支援級へ通学しているためお迎えが必要で。9時~17時の仕事が難しくなって辞めました。ライターは不安定だからなるべく一本だけでやりたくなかったのですが、腹を据えてやっていこうと。自閉症スペクトラムについて調べると男児の情報が多く、女児の情報をもっと知りたいという思いがあります。ゆくゆくは専門家の援助を得つつそうした情報をまとめて、同じような立場の人を助けるような仕事もしたいですね。

――それはすごく大切な情報ですから、この先広く共有できるといいですね!最後に、子どもの教育を考える同世代へメッセージをお願いします。

上の娘はスイミングや公文に通わせてもすぐに辞めてしまい、家で絵ばっかり描いていました。この子は習い事は嫌いなんだな~と思っていたら小6になっていきなり「女子校に行きたい」と言い出して。自分で見つけてきた近所の個別指導塾へ通い始めました。行き当たりばったりで適当なのは親子共ですが、子どもは放っておいてもそのうち自分でこれだ!と思うモノを見つけるものなのだな~と感じています。受験勉強に何も口を出さないでほしいと言われてその通りにするのは、親にとって修行でしたが(笑)。

編集後記

――ありがとうございました!今さらスゴ母にはなれませんが、間違いなくハミダシ者としてここまできてしまった私としては、胸熱くなる数々のスゴ母エピソードと、堀越さんのユーモアたっぷりな筆力で、抱腹絶倒なスゴ母ワールドに引きずり込まれてしまいました。同世代というにはちょい乱暴な括りですが、堀越さんとかつて過ごした時代を共有でき大変うれしくなりました。ペンの力で抗ってきたスマートさ。小学生と中学生のお嬢さんを育てる母として、これからもさらにおもしろい本を書いてくださることでしょう。応援しています!

2020年6月取材・文/マザール あべみちこ

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