団地を堤防代わりにするのか?

陸前高田市庁舎の移転先が決まったのは昨年6月の市議会でのことだった。市議会の定例会で即日採決された結果は14対3。数字を見れば圧倒的多数だが、3月の定例会では、3分の2以上の賛成を要する同じ議案が10対7で否決されていた。

市庁舎の移転場所は市民の間でも大きな議論を巻き起こした。最大の争点は、市側が提示した移転先が、津波で浸水した高田小学校のある場所だということだ。陸前高田市では293人いた市職員の多くが被災し、68人の命が失われている。(データはH23.12.21現在の在職者とH22.4現在の死者・行方不明者:総務省のHPによる)

奥の白い建物が新市庁舎建設予定地の高田小学校。手前は2014年完成の災害公営住宅

市職員の多くが被災した陸前高田市では、津波浸水地域に市庁舎を再建することに対して根強い反発があり、移転先問題は重大な関心事だったのだ。

とはいえ、市庁舎の移転先はすでに決定した。今年に入ってからは、高田小学校のグラウンドでの工事も本格化している。

それでも、こんな声を耳にする。

「団地を堤防代わりにするつもりなのか?」

この言葉の背景には、震災遺構として残されることになっている「下宿定住促進住宅」の被災状況がある。下宿定住促進住宅は陸前高田市高田町の東側、海岸に近い場所に建っていた2棟の集合住宅だ。震災遺構として残されることになったのは海側の1棟だけで、山側の2号棟はすでに解体されているが、2棟が並んでいた頃には津波が直撃した1号棟と、2号棟とで被害に大きな違いを目の当たりにすることができた。

左は2012年、右は2017年の下宿定住促進住宅

1号棟は4階までのすべての部屋が津波で破壊されているのに対して、2号棟はベランダのつい立て板が残るなど、一見して1号棟がバリアとなって守られたようで、それが却って衝撃だった。

下宿定住促進住宅の2棟の被災状況を目に収めた上で、上の言葉を再読すると、この言葉がいかに衝撃的であるかが理解してもらえるだろう。

この言葉を聞いたときには、いくらなんでもそれは言い過ぎだと言い返した。口さがない言葉どころの話じゃないと憤りすら覚えたからだ。しかし、言葉の主は「市民がいくら声をあげても、結局は既定路線通りに進んでいくのさ」と応えた。

市庁舎の移転先が決した以上、何を言っても「何とかの遠吠え」でしかない。行政は手順を踏んで移転先を決定しているのだ。しかし、それでもこんな言葉が聞かれるのは、市民の間にいまだに「くすぶっているもの」があることを示していると考えて、紹介することにした。

くすぶりは、市庁舎の移転先に限ったことではない。3月に否決された条例案をほぼそのまま再提案してこんどは可決という経緯に対する不信はたしかにあるだろう。しかし、くすぶりはもっと広範囲に渡る。造成地や復興住宅のハード面での不備への不安もある。コンパクトシティを標榜していたにもかかわらず、住宅地と商業地が切り離され、スーパーマーケットのお買い物バスが実質的なコミュニティバスとなっている状況への不満もある。小中学校などの公共施設も含めて新築される建物について、あまりにお金をかけ過ぎているのではと指摘する声もある。

「ものごとを進めて行くときには、必ず反対する人はあるものさ」と言うことは簡単だ。しかし——

この町では、「市民の意見が届かない」「住民の知らないところで復興がデザインされている」といった声を耳にすることは少なくない。中にはこんなことを言う人もいる。「1割近くの住民の命が失われ、中心市街地のほとんどが失われた陸前高田市だから、何をやるにしても国や県が出張ってくるんだろう。震災前に比べて予算規模が大きく膨らんでいても、市ではどうにもならない事業が多いのだから、住民の声が届かなくても仕方がないんだろう」

もちろん、行政の手続きに問題はないのだろう。それでも不安や不満がくすぶって、さらには半ば諦めのような声が漏れていることもまた、復興の一面であることを知ってほしい。