【シリーズ・この人に聞く!第146回】詩人 文月悠光さん

紡ぎ出す言葉の隅々まで血が通い、時に香り立つように。人の呼吸や足音までが聞こえてきそうな瑞々しい感性の作品。弱冠26歳の若き詩人に、子ども時代のこと、詩がうみだされてきた背景、2月16日発売の新刊エッセイ「臆病な詩人、街へ出る。」へ込めた思いなど、じっくりお聞きしました。

文月 悠光(ふづき ゆみ)

詩人。1991年北海道生まれ、東京在住。中学時代から雑誌に詩を投稿しはじめ、16歳で現代詩手帖賞を受賞。高校3年生のときに発表した第1詩集『適切な世界の適切ならざる私』(思潮社)で中原中也賞、丸山豊記念現代詩賞を最年少18歳で受賞。早稲田大学教育学部在学中に、第2詩集『屋根よりも深々と』(思潮社)を刊行。2016年、初のエッセイ集『洗礼ダイアリー』(ポプラ社)、第3詩集『わたしたちの猫』(ナナロク社)を刊行する。最新刊はエッセイ集『臆病な詩人、街へ出る。』(立東舎)。NHK全国学校音楽コンクール課題曲の作詞、詩の朗読、詩作の講座など広く活動中。 “文月悠光”は14歳のときに詩を投稿するために考えたペンネーム。

図書館と詩集で育んできた想像の翼。

――文月さんの詩、数年前に朝のラジオ番組で朗読をお聴きして、勝手に共感共鳴してからずっとインタビューの機会を狙っていました。いつ頃から詩の創作を意識するようになったのでしょう?

空想するのが好きな子でした。幼稚園の年長くらいから1ページ1コマの、絵本と漫画を掛け合わせたお話を創っていました。それが文章として成り立つようになったのが小学2年生の時。仲の良かった友達が「いっしょに童話集をつくろう」と言ってきて、その子が書いた文章に私が続きを書き、その続きをまた友達が…というリレー小説のような遊びがすごく楽しかった。そのうち「私も書きたい」「絵は私が描く」という子が現れて。一方で自分ひとりでも小学3年生から書くようになって、周りの友達や先生に感想を書いてもらったり、そういう物語に関する遊びを真剣にしていました。

物語が大好きで友達との遊び方も創作中心(小4の終わり頃)

――早熟でしたね。日記も書き続けていたとか?毎日書きたいことが溢れていた?

日記は小学4年生で始めて、結果的に日記が詩を書くきっかけになりました。日記は長い文章で書くものと思っていましたが、小学生の日常って同じことの繰り返しで、それほど大きな事件があるわけでもなく、もっと端的に日々感じていることを書けたらいいなというのがあって、たまたま詩と出会いました。詩なら自分も真似して書けるかもしれないと思ったのです。

――ご家庭は、例えば本棚にびっしり詩集が置かれていた環境でしたか?

家にはそれほど本があったわけでなく、母も本が好きな人ではありませんでした。学校の図書館と、父が2週間に一度近隣の図書館に連れて行ってくれて、それが大きな影響を与えてくれたように思います。私の感性はほとんど札幌市中央図書館で培われたものです(笑)。買う場合は制限が掛かりますが、図書館でなら何を選んでもいい、何を読んでもいいという状況でした。絵本を飛ばして、小学3年生頃から本の虫になり、家族旅行でも車の中で本を開いて読んでいたので「本なんか読まないで周りの景色をみなさい!」と叱られたことも(笑)。

――すごくユニーク。本の世界からスポンジのように言葉を吸い取られたのですね。中学からブログも始められて、そこから作品も発信するように?展開が早いですね!

当時は芸能人ブログが出始めで、誰もが気軽に情報を発信できた。その前から無料HPを作って作品は出していたのですが、詩の投稿サイトを見つけて、そこに投稿するようになってから他の投稿者ともメールで情報をやり取りするようになって、ある方から「現代詩手帖」を読んでみてはどうか?と助言してもらえました。私が住んでいた小さな町では、1冊2000円もする詩集の取り扱いはなくて、定期購読で読むほか、大型書店に連れて行ってもらった時は、この機会を逃すまいと。服を買うためにもらったお金で、本を買ってしまったこともありました。

余白を思考や解釈で埋めてもらう。

――中3受験生の頃に既にご自身が没頭する世界を持っていたわけですが、単に好きで誰にも見せずに書いているわけでなく、思いをシェアできる行動力がありましたね。

詩の雑誌も「現代詩手帖」の他に何誌か投稿していましたが、読み比べているうちに段々自分のカラーがわかってきました。「現代詩手帖」と「詩学」の二誌に並行して投稿を続け、中学3年生の終わりに「詩学最優秀新人賞」を頂きました。その後も「現代詩手帖」に投稿を続けて、高校2年生の時に「現代詩手帖賞」を受賞しました。今思うと、人に読んでもらうことを当時から意識していて、それが執筆のモチベーションになっています。

友達とリレー小説を書く一方で、ひとりでも創作していた(小5の春)

――ひとの視線を気にして書くとリア充的投稿が多くなりがちですが、文月さんはそれとは違い、恥じらいがあって演出っぽさがない。それは最初から?

視線を意識すると言っても、読んでくれる人の目を信頼しているのだと思います。作品を通して自分をよく見せたい、という気持ちはないです。私の場合、第1詩集と第3詩集とでは書いている意識も内容も違います。第1詩集はひとつの物語のような構成でまとめました。第2詩集は大学4年生の時にまとめたもので、カタログ的にいろんな詩が集まった一冊です。物語として成立する詩を書いていくことに関心があります。

――詩を書くのに一番必要なことって何ですか?

わからないことを怖がらないこと。昨年から本格的にNHK文化センターで「詩の講座」の講師を務めています。うまい詩は読者がわかりかける一歩前で終わります。いい意味で投げ出すというか、100%わからせなくてもいいという姿勢。多くの人は、過剰に説明してしまいがちなんです。読者自身にいろいろ想像してもらって、わからない余白を読者の思考や解釈で埋めてもらうのが本当は丁度良い。あまりすっきりオチをつけると、考える隙がなくなる。なぜこの言葉がここに?という違和感があるといい。

――そうか!広告コピーの作り方と、そこは似て非なるものがありますけれど、新しい視点を見つけて言葉にするというのは共通していますね。

私の場合、あるテーマを与えられて詩を書いてくださいという依頼が多いので、下調べで感じたことや第一印象は言葉にして残しておきます。人の目がある場所では、見られても大丈夫な安全すぎる表現になってしまう。私は自分しか見ない紙の日記と、スマホのメモアプリと、SNSでも複数アカウントを使い分けて、いろんな場所で書くようにしています。人が読むことを前提としていないメモ書きや日記は、私にとっては大切なもの。そこから書きたいテーマやネタが出てくることも多いんです。書く内容で自分を好きになってもらいたいわけでなく、嫌いになる人がいたとしても、「これだけは書いて伝えたい」という自分の中の熱に救われています。

人はグラデーションで生きている。

――ちょっと幼少期の話を伺いますが、習い事は何かされていました?

3歳から10歳まで母の勧めでヴァイオリンを習っていました。親も付きっきりでレッスンしなくてはならず大変でした。同時期に始めた同い年の女の子がいて、今は芸大出身の演奏家になっていますが、当時から歴然と力の差がありました。5歳で1日3~4時間の猛レッスンしているお友達に比べて、自分は平凡な努力しかできないし中途半端。そういうコンプレックスを持っていました。

3歳から10歳まで習っていたヴァイオリン(5歳の頃)

――お母さんが、著書の中でとてもおもしろい存在として描かれていますね。

小学生くらいの時、よく夜8時半頃に「お母さんお腹空いた。ご飯なぁに?」と聞くと「おまえの丸焼きだよ。ちょうどよく肥えてきたところだね」と返事をしてくるような母で……(笑) 変わっていましたね。どこの家のお母さんもそうだと思いますが、外の顔と、家の顔が違うのでしょうね。母は外ではしっかり者でしたが、家ではふざけてユーモアを発揮する人でした。家に「お母さんが読んで聞かせるお話」という綺麗な絵本があって、「おかあさん読んで!」と持っていくと「これは、お母さんに、読んで聞かせるお話よ!」と言われて、結局わからない漢字を飛ばしながら一人で読んでいた覚えがあります。

――何でも与えてしまわずに、子ども自身の力を信じて伸ばしてくれたお母さんでしたね。新刊エッセイ「臆病な詩人、街へ出る。」はどんな本ですか?

臆病な自分と向き合うために苦手なことに挑戦したり、嫌な言葉を投げてくる人にあえて向き合って考えてみたり、いくつもの冒険を描いています。最初は、臆病な自分を変えなくちゃ、克服しなくちゃ・・・―――とネガティブな面から街へ現実を見に行く連載でしたが、後半に差し掛かるにつれて臆病な自分で何がいけないのかな?と感じるようになって臆病な感じ方は変えられないけれど、自分を客観視することで楽になりました。臆病だけど、意外と自分には勇敢なところもあるのではないか。思い切りのよさや場面によっては積極的に頑張れる自分もいるな、とか段々わかってきた。人はそのように、臆病さと勇敢さのグラデーションで生きているのではないか?と感じています。

――まさにそうですね!人って一面だけではない。では今、小さな子を育てる親に何かアドバイスをお願いできますか。

子どもが「これをやりたい という興味を汲んであげてほしいです。と同時に、お母さんであっても 100%お母さんになりきらなくていい。それは世間が求める母親像とは違うかもしれませんが、肩書や役割に縛られない方がのびのびと生きられる気がします。1日に数ページでも好きな本を読む時間をもつとか、意識して自分自身を生きること。お母さんが自分らしくいられることのほうが大事。周りにとってもそれが幸せなのではないでしょうか。もちろんお母さんを演じた方が楽に過ごせるときは、その役割に乗っかればいいのだと思います。背負う荷物から逃げてもいいし、減らしてもいいし、また背負ってみてもいい。そういう複雑な役割バランスの中で、人って生きているのではないかと思います。

編集後記

――ありがとうございました!可能性がいっぱい詰まった26歳という輝かしい年齢。恐らく大企業にお勤めしても優秀な社員としてスキルを発揮されるであろう文月さんが「詩人」としてキッパリと、ときには本屋さんのアルバイトも挟みながら真剣に「書いて表現する」ことに対峙する姿、心打たれました。私も表現者の端くれとして遅まきながらがんばります!文月先生の「詩の講座」へ通っちゃいたくなるほど楽しい取材時間でした。これから益々のご活躍を応援しています!

2018年2月取材・文/マザール あべみちこ

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