東北では、大きな鍋のお世話になることが多い。秋の風物「芋煮会」はもちろんだが、イベントや餅つき、節分の恵方巻といった行事に合わせて、大鍋で豚汁などの鍋物をつくることも定番化している。
鍋料理は大鍋でつくることで格別に美味しくなる。たくさんの人が集まって調理を手伝ったり、自慢のレシピを少しずつ足し合わせたり、みんなで味見をしながら味付けしたりすることで、味わいに深みが増すのだろう。
鉄人的な料理人がつくる一皿が至高のソロ演奏だとしたら、大鍋はオーケストラによる圧巻の交響曲みたいだ。味そのものもさることながら、大人数が「みんなで」つくるというところに美味しさの秘訣があるのは間違いない。
ところで、たとえば100人、200人が集まるときに使う大鍋はどこから調達するか。そんな鍋を個人で持っている人はまずいない。公民館や町内会で所有しているところもあるだろうが、津波で一切合切流されてしまった被災地では、赤十字や社協といった団体から借りてくることになる。
借りたものは返さなければならない。返すときにはキレイにして戻すのが当たり前。
100人分の調理ができる大鍋ともなると、片付けも大仕事だ。何しろ大きくてふつうの流しのシンクには入らないので、屋外の水道でごしごし洗うことになる。水道がある場所まで運ぶのだって数人掛かり。洗うにしても、スポンジでちまちま洗っていては日が暮れる。数人で素手でこすって汚れを落とす。まるで体操でもするように腕をぐるぐる回すような格好で洗う。鍋を支えるのも重要な仕事だ。鍋の縁にこびり付いた具や汚れをそのまま流してしまわないように拾い集める人もいる。
「なんだか、避難所の炊き出しを思い出すわね」
5人掛かりで大鍋を洗っているとき、ひとりのお母さんがつぶやいた。その言葉に呼応して、ほかのお母さん、おじさんたちも話し出す。
「あの頃も、手で洗ったりしたわよね」
「今じゃ、外で洗うときには、洗剤をそこいらに流さないようにって気にしたりするけど、あの頃は洗剤すらなかったもんね」
「あら、うちの避難所には物資で洗剤はすぐに届いたわよ。でも、ぜんぜん落ちない安物。ほら、大昔に使っていた『○○レモン』みたいな大きなボトルに入った外国産だったけど」
「すすぎが大変だったんだよね。泡切れが悪くて、いつまでもヌメヌメして」
「結局、手でごしごしするのが一番だった」
「洗剤を使うにしても、ちょっとだけ付けるようにしてね」
「手が荒れてたいへんだった」
「3月のことだから、とにかく手が冷たくってね」
「私たちなんて、洗い物で水を使うだけで冷たい、冷たいって言ってたのに、中学生とか高校生は毎朝水で髪洗う子たちもいてね」
「そうそう、朝シャン。あんな冷たい水でよく頭を洗えるもんだと感心してたわよ」
「ほれ、俺たちみたいに枯れちゃったのとは違って、あっちはお年頃なんだからいろいろと気になることが多いんだろう」
「あら、枯れたなんて失礼な」
そんなことを言い合っているうちに、鍋はピカピカになっていく。「借りたときよりキレイになったって、貸した方が驚くんじゃないか」「キレイにして返すのが当たり前なんですっ」「あの頃だって、そうしてたんだから。いくら手が冷たくってもね」
大人数でわいわい過ごした後の片付け仕事だから、楽しい時間の余波もあるのだろう。そんなときに、ふと「あの頃」がよみがえる。新聞記事にも行政が編纂する復興の記録みたいな報告書には出てこないような、小さな、それでも忘れてはならない大切なことがあふれ出てくる。