防災ワークショップを紹介する文章で、新聞紙でつくるスリッパを取り上げたが、被災直後になぜスリッパが必要なのか、その理由が分かりにくいという指摘があった。もっとはっきり言った方がいいともアドバイスされた。
1月17日のワークショップでは、講師の新沼真弓先生は「避難所を経験した皆さんならお分かりでしょうけど」と言って、あまり具体的かつリアルなことには言及されなかったが、避難所でスリッパが必要な理由の最大のもの、それはトイレの問題だ。
あの日の夕方、中学校のトイレで
3.11の日、高台にある小中学校には被災した多くの人が逃げ込んだ。体育館などが開放されて避難所になったが、土足のところが多かった。
ある人の証言。
「避難所の中学校に行ったのは、津波が少し落ち着いた午後7時過ぎだった。津波から3、4時間経った頃だ。急に便意を催して学校のトイレに 行くと、便器の中はすでに排泄物でいっぱい。キンカクシよりも高く盛り上がっていた。断水で流せないからなんだが、ものすごい光景だった。もちろん便器の回りだって。仕方なく中腰で済ませたが、これはとにかくトイレを何とかしなきゃならんと思った。ほんの3時間か4時間そこらで、トイレはとてもじゃないが使えない状況になってしまうんだから」
自然現象というものは、どんな時であっても我慢することができない。だからこそ自然現象なのだ。それが津波の直後には、限られた施設に数千人もの人が駆け込んできたのだから当然といえば当然。全校生徒の数十倍にのぼる人数なのだから、完全にキャパオーバーだということは考えれば理解できる。仮に水が流せる状態だったとしてもたいへんなこと変わりなかったに違いない。ところが、日常生活の中では、そのような状況になること自体、なかなか想像することができない。
阪神淡路大震災でも、中越地震でも、熊本地震でも、トイレ問題は深刻だった。深刻という言葉どころではない悲惨さだった。そのことを語る人はたくさんいる。しかし、なぜか、同じことが繰り返される。「下の話」ということでリアルに想像することを避けてしまうのだろうか。取り組む真剣さが不足してしまうのかもしれない。しかし、災害時のトイレ問題の重要性は肝に銘じておかなければならない。対策を考えておかなければならない。
やや話がそれてしまった。トイレ問題への取り組みはきわめて重要なことではあるが、ここでは証言の続きを記す。
男も、女も、若い人たちも、偉い先生だって関係ない
「トイレをなんとかしなければと思って、津波をかぶらなかった高台の作業場で、スコップや大工道具、ベニヤ板などの材料をトラックに積み込んで避難所に戻ったときのこと。もちろんまわりは真っ暗だ。避難所になっている中学校に近づくと、車のライトに照らし出されたんだよ、道路脇の側溝なんかで排便する大勢の人たちが。みんなライトで照らされても気にしないんだな。男も、女も、子どもも、若い人も、年寄りも、動じた様子はまったくなく、黙々と排便していた。その後、中学校のグラウンドにいくつも穴を掘って、周りをベニヤ板で囲ってトイレをつくった。蝶番なんかないから、ベニヤに穴をあけて針金で留めたようなものだった。夜中の2時ぐらいまでかかったかな。それでもあっという間に行列だ。急ごしらえでドアがちゃんと閉まらないようなトイレでも大行列」
だから、列に並べない人、我慢できない人は、やはり外で用を足すことになる。
「昼間ならいいよ。でも夜は電気がないから街灯もつかない。真っ暗闇なわけだ。ということは、人の便とか自分の便を踏んでしまうことになるんだな。で、避難所はというと、みんな土足で体育館に上がるわけだ。ものすごく臭かった。耐えられないほど臭かった。当然、衛生上もよくないよな」
彼は何度も繰り返した。「夜、外で用を足すということは、靴で踏んじゃうってことだ。真っ暗なんだから誰にも防ぎようがない。そこいらじゅうに落ちているわけだから」と。「避難所の臭いっていうのは、被災して何日も風呂に入らない、着替えないからというような臭い以前に、まずあっちの方の臭いが臭くてたまらなくなるんだ」ということを。
お分かりだろう。だからこそ、新聞紙でつくれるスリッパが不可欠なのだ。スリッパがあれば、避難所の屋内を土足禁止にすることができる。あるいは、トイレ用にレジ袋などを被せて使うことも可能になる。
新聞紙のスリッパを紹介した背景に、こんな話があることを覚えておいてほしい。
(写真は、岩手県陸前高田市の仮設市庁舎近くの栃ヶ沢公園内に設置された災害用非常トイレ。この件については別稿でふれる)