「息子と二人暮らしだから、そんなに大きな家は必要ないんだけんど、息子がさ、ロフトがいいって言うもんだから、リビングの奥にロフトつくることにしたんだ。テレビのある部屋からそのまんま階段をのぼると息子のロフト、って感じなんだよね」
カンダさんは、会うたびに高台に建てる新居のことをニコニコうれしそうに話してくれた。
「大工さんが足りねえすから、工期が遅れてなあ」とか、「近くの公共施設の工事が押してっから人手を回してもらえないかなんて言われて困ってしまってなあ。こっちだって急いでるんだけど仕方ねえよなあ。そっちの工事に作業員を出したもんだから、また遅れてしまってなあ」とか。
「やっと内装が8割方できてきたから、家具とか家電とか買いにいってな」とか「息子がどうしてもデカいテレビがほしいって言うんでな、新しく買うテレビは息子のロフトに置くことにして、オレ用は今使ってるのを持ってくことにしたんだ」とか。
カンダさんとはなぜかイベントなんかで出会うことが多い。イベントじゃなくても、スーパーでばったり出会ったりもする。そのたびに新居の進み具合を教えてくれるものだから、カンダさん家ができ上がっていく様子が自然と思い浮かぶようになった。新しい家での息子さんとの新生活をどんなに楽しみにしているかも手に取るようにわかる。
「もうすぐ引き渡しなんだ」という話を聞いてから数日後、彼が住む仮設団地に行ったら、カンダさんがしょげきっていた。
「南天が盗られたんだ」
カンダさんの仮設住宅は、いかにも男所帯といった感じでむしろ殺風景なくらいなのだが、入口の脇の日当りのいい場所に鉢植えが2、3置かれていた。
「ほれ、これ」
カンダさんが指差したところには手作りの台。台の上には何もない。上に置かれていた鉢植えが南天だったことはこのとき初めて知った。
「こっちの木だって珍しいものなんだよ。でも南天だけが盗られた」
「なんで南天を盗っていくかなあ」
「ここに住むようになってからずっと育ててきたのになあ」
「どうして南天を盗るのかなあ」
ナンテンは「難を転ず」に通じるから、家の鬼門に植えると良いとされる。盗られた南天は、カンダさんの6年間の仮設暮らしの中で、「いつか新居に越した時に」と大切にしてきたものだ。
東北には悪い人はいない——。そんなイメージがある。震災直後、食べ物や物資の配給に整然と並ぶ人たちの様子は世界中に伝えられた。海外であれば暴動が起きても不思議ではないのに、被災した東北の人たちは礼儀正しいと賞賛された。しかし、それは作られた神話のようなものでしかない。被災地では震災の直後から盗難や空き巣が横行したのは事実だ。避難区域に指定された福島のみならず、被災した地域の多くで犯罪が行われた。自販機をバールでこじ開ける。流されたATMを破壊して紙幣を抜き取ろうとする。慰霊施設での賽銭箱泥棒もあった。事例をあげればきりがない。
「窃盗団は(被災地の)外から入ってきた奴らなんだな」と言う声をよく聞く。そんな言葉を聞くたびに、せめて、ほんとうに、そうであってほしいと思う。しかし、そう信じたい気持ちにしても、震災でたいへんな目に遭った人に悪い奴がいるはずがないというバイアスがかかっている可能性がないとは言えない。
日本中、世界中、どこに行っても、いい人がいるように、悪い人もいる。いい人がいつもいい人であるわけではなく、ふとした瞬間に悪い人に転じてしまうこともある。おそらくそれが現実というものなのだろう。
「いい人ばかりじゃないからね」と、震災後、家にカギをかけるようになった人も多い。仮設住宅の集会場のように、いつも人がいるわけではない施設では、玄関だけではなく、屋内の倉庫にも施錠するところもある。「震災の前はカギなんて掛けなかったのに」と言う人もいる。
震災前に掛けなかったカギを、震災後には掛けなければならなくなったという話が本当であれば、その変化もまた震災の現実ということなのだろう。
そして、そんな、震災前とは変わっていく状況の中で、新しい暮らしを、新しいまちを、仲間を、つながりを築いていかなければならないということもまた、震災の現実であるに違いない。神話のような話は次々に生産され流布されていく。「仮設を出ること=復興」というイメージも、「支援をありがとう、被災地はもう復興しました」という誰が言ったのかわからないメッセージも、神話の類いと言っていいだろう。
現実は、そんな作られたイメージとは別のところにあり、被災した地域で暮らす人たちは、自分たちが暮らすまち、コミュニティをもう一度つくろうと懸命になっている。
しかし、それにしても、カンダさんカンダさんから南天を盗った人間は許せない。6年以上もの長い時間を費やして、ようやく新居を建てることができたカンダさんにとって、それは一個の鉢植えというだけではない。新しい生活への期待と、これからは災いに遭いたくないという切実な願いが詰まった一鉢だったのだから。
南天が盗られてからは、会っても新居の話をすることがなくなった。それでも大雪の日にスーパーで偶然行き会ったカンダさんは、以前のようにニコニコ笑顔のカンダさんだったのだが。