3月31日から4月1日の年度末年度始めの慌ただしい中、東京電力福島第一原子力発電所事故で、避難指示の対象となっていた地域の避難指示解除が行われた。3月31日には福島県浪江町、飯舘村、川俣町山木屋地区、4月1日には富岡町の居住制限区域と、避難指示解除準備区域の避難指示が解除された。
4月2日以降も避難指示が継続しているのは、第一原発の所在地である大熊町、双葉町の多くの部分と浪江町(こちらも面積としては広範囲)、飯舘村、富岡町の一部となった。
メディアの報道では、たとえば日テレNEWS24のWEB版は「避難区域は2013年に再編された時の3分の1に縮小される」と伝えられるが、残された3分の1の地域にはかつて地域の中心だった町が点在する。事故原発が立地する沿岸部を南北に貫く国道6号線や常磐自動車道はすでに通行できるようになっているが、国道6号を走っていると、沿線に次の写真のような光景が突如として現れる。
国道沿いに聳える高いバリケードは、帰還困難区域に指定された民家等の入口を塞ぐもの。出入り口以外の部分にも、仮設のガードレールが設置され人々の出入りを拒絶する。まるで砦のようにも見えるが、立派な家々が立ち並ぶ様子から、ここがかつて大熊町の中心市街地の一部だったことが分かる。
時間を少し遡って、大熊町の住宅への侵入を防ぐバリケードのようなものが立ち並ぶ少し手前、つまり帰還困難区域に入る直前、もう少し詳しくいうなら桜の名所である夜ノ森近くの富岡町の路上(この付近は4月1日に避難指示が解除されたと思われる)には、上のような看板がたくさん掲示されていた。
注意
ここから1km先
帰還困難区域
(高線量区間含む)
注意
自動二輪車
原動機付自転車
軽車両 歩行者
は通行できません
避難指示が解除された場所と、まだされていない場所。その線引きはどのように行われているのか。線引きの外側と内側では状況がまるで違う。自分の家に立ち入ることをも拒むかのような高い防壁が築かれた町と、そのような指示が解除された地域。その間にどんな差があるのか。
看板に示された「自動二輪車 原動機付自転車 軽車両 歩行者は通行できません」とはどういう意味か。ボディで囲まれた自動車であれば通行可能だが、外気にさらされるバイクや軽車両、歩行者は立ち入ってはならない、つまり、生身の人間は立入禁止というとこか。であるのなら、自動車のエアコンだって外気取り入れモード禁止ということになるだろうが、看板にはそうは記されていない。
先に引用した日テレNEWS24のWEB版にはこんな記述もあった。
これまでに避難指示が解除された多くの区域では、生活環境の不安などから住民の帰還率は10%台にとどまっている。
ここまでは居住可能。このラインから内側は立入禁止という話をどう理解すればいいのか。年度を跨いで実施された避難指示解除。その施策の意味はどこにあるのだろうか。
全国的にも有名な東北の桜の名所、富岡町の夜ノ森地区には、避難指示が解除された場所と帰還困難区域にまたがって約400本の桜が植えられているが、今年は帰還困難区域を除く場所で桜のライトアップが行われたという。人が入っていける場所と行けない場所、咲く花はバリケードをどんな思いで見たことか。