3月下旬、朝のラジオ体操に若い顔がたくさんあった。ボランティアにやってきた神戸大学の学生たちだ。
春休みを利用してやってきた彼らのグループ名は、少し長いが「神戸大学東北ボランティアバスプロジェクト 陸前高田班 第39次派遣」。39回目というボランティア活動の回数に驚かされる。しかも、今回は人数が若干少なめなので貸し切りバスではなく、大阪から仙台まで夜行の高速バスで、仙台からはレンタカーで陸前高田までやってきたのだという。
陸前高田の人たちにとって、神戸大学は特別な存在だ。震災直後から何度も繰り返し訪れては、さまざまなボランティア活動を続けてくれているからだ。神戸大学生が来ると聞けば、わざわざ会いに行く人もいるほど。
震災直後の混乱の中での活動をとおして、こころが通い合い、手紙をやり取りしたり、再会をよろこび合ったり。そんな関係がずっと続いて来た。タオルを使った手芸「まけないぞう」が陸前高田に伝えられたその場にも、神戸大学のボランティアさんたちがいたそうだ。
しかし、ちょっと考えてみてほしい。震災から6年が経過し、すでに7年目となっている。大学生はふつう4年で卒業するわけだから、震災当時大学生だった人はいないはず。学年を聞くと、「3回生です」「わたしは1回生です」といった返事。
彼らは先輩たちが被災地で結んだひととひとのつながりを、代々受け継いで活動を続けてきたということになる。
ああこれが継承ということなんだと心が動かされた。ずっと以前から知り合いだったようにラジオ体操しながらも、体操が終わった後も地元の人たちと笑顔で会話する神戸大学生たち。ここに「風化」なんてものはない。
彼らとは2日続けてラジオ体操をご一緒した。2日目は活動の最終日(彼らの活動自体は6日間だったそうだが)で、ラジオ体操に参加した地域の人たちとともに再会を約束し合った。その週末に予定されていたイベントに参加しない? なんて振ると、「えー、どうしよう、参加したいなあ」と本気で悩んでくれたのがうれしかった。(今日帰るというのに週末に来ないか誘うなんて、考えてみればずいぶん大人げないことではあったが)
コミュニティホールを後に走り去って行く3台のレンタカーを見送りながら、一緒に手を振った地元の方と話し合った。「ほんとうにありがたいねえ。それでもやはり神戸は遠い。これまではバスをチャーターして来ることが多かったみたいだけ、何十万円もかかるでしょう。今回みたいに夜行バスとレンタカーでも、やっぱり学生さんにとっては大変な出費に違いない。少しでも負担を減らせるように、知恵を絞らないとね。私たちの方で神戸の人たちにできることも考えていかないと」
「また来ます」と笑顔で帰って行った神戸大学生たち。そして見送った陸前高田の人たち。お互いに気遣いながら、そのつながりが深まっているのを感じた。