いわき市久之浜の河津桜が見事に咲いた。諏訪神社境内の桜は3月18日にはすでに満開。同じ頃、川沿いや高台の桜にはまだ固いツボミのものもあったから、ちょうど今頃、久之浜は花盛りかも。
久之浜に桜を植える活動を行っているのは、静岡県三島市と富士市の有志による「Team 桜龍(おうりゅう)in 久之浜」。1000本を目標に2014年春から植樹を始めたが、3年間で目標の半分に手が届くところまできた。
3年かけて500本にも届いていないなんて、ずいぶんのんびりした話に聞こえるかもしれない。お金をかければ一度に1000本くらい植樹することだってできるだろう。しかし、Team 桜龍は少しずつ植樹することにこだわりをもって桜を植えてきた。そして、植樹を受け入れてくれる久之浜の人たちも、同じ思いで桜を愛してくれている。
3月19日の桜パトロールに参加して、そのこだわりが理解できた。
桜パトロールとは、これまでに植えた桜の健康状態を確認して回ること。1本1本の桜の様子をじっくり見て、支柱を修理したり、肥料を撒いたり、元気に育てよと声をかけたりする。
たまたま待ち合わせ場所に早く着いたので、一足先に大久地区の稲荷神社の境内の桜を見て回ると、植えた場所によって花がすでに終わったもの、ツボミが膨らんでいるもの、葉の芽しかついていないものなど、桜の状態はさまざまだった。
山あいで日当りの悪い場所に植えたものの中には、残念ながら枯れてしまったものも。元気に育っている桜の枝先にも、アケビか何か、細いツルが巻き付いているものもある。
「こういうツルが厄介なんだよな」と、以前の桜パトロールで、三島から来たイケメンの植木職人HIDEさんが丁寧にツルをむしり取っていたのを思い出して、枝先に絡まっているのを引っぱり抜こうとすると、ツルはすでに乾燥してパリパリになっていてあっけなく取れた。
たどって見てみると、ツルは根元の方で切られていた。この神社の桜にはツルが巻き付いているものが多かったのだが、すべて同じように根元で断ち切られていた。明らかに人が手を入れている。
ぼんやりしていて気づかなかったが、桜の周りの雑草も草刈りされていた。大きな木の枝が何本もチェンソーで伐採されてもいた。もしかしたら、日当りをよくするための手入れだったのかもしれない。
そんなことを考えていたら、桜龍の仲間たちが険しい石段を登って来た。桜を何本か見てHIDEさんは「ちゃんと手入れしてくれているね」と言った。「神社の掃除の時に桜のことも気にかけてくれているんだろうね」「ありがたいね」とメンバーも口を揃える。
別の植樹場所も同様だった。桜が雑草に埋もれているようなところは1カ所もなく、どの場所の桜も地元の人にしっかりお世話してもらっていた。
「地が合いさえすれば木は育つし花は咲く」という。気候や日当り風の強さ土などの条件さえ合えば植物なんて勝手に育つものだというわけだ。しかし、桜は自分で殖えていくことはできない。ソメイヨシノが接ぎ木でしか育たないことは知られているが、自然の桜からの改良品種である河津桜も同様だ。
春まだ浅い頃に可憐なピンク色の花を咲かせる河津桜は、そのすべてが誰か人の手で植樹されたものなのだ。ただ植えられたのみならず、多くの人の世話を受けてようやく花開くものなのだ。
桜パトロールで見て回った中には、残念ながら枯れてしまった木もあった。しかし、驚いたことに、枯れた木の根元からヒコバエのように新たに細い幹を伸ばしたものが多数あった。去年見て回った時にはダメだったのに、今年復活した木も少なくなかった。接ぎ木された親の木から直接伸びた幹もあった。親の木がオオシマザクラだったら、将来ピンク色のカワヅザクラと白いオオシマザクラが同じ木に咲くなんてこともあるかもしれない。
桜は自分で本数を増やしていくことはない。誰かが植えなければ桜は増えていかない。誰かが植樹したいと思っても、植樹を受け入れてくれる地元の人たちがいなければ植樹は成り立たない。そして、地元の人たちのお世話があってこそ、植樹した河津桜は見事に花を咲かせる。
「中学校の通学路に植樹した場所はね、町からも見上げることができるところなんだ。あの桜が立派に咲くようになったら、それはそれは見事だろうね」と地元の人は繰り返し話してくれる。
「新築した自宅の庭に植えたいって人も多いから、新しい住宅地が桜並木になるかもしれない」と顔をほころばせる人もいる。
桜を植える、花が咲く。でもそれだけではない。久之浜に咲く河津桜は、人と人のつながりがあってこそ咲く。枯れそうな木、枯れてしまった木でさえ、注がれる愛情で復活する。ここに咲いているのは、たくさんの人々の思いを受けて咲く絆の桜だ。