新しいまち。この時期に道の段差を埋めるのはなぜ?

日曜日なのに道路の舗装工事が行われていたのは、陸前高田の市道大町線。4月27日に中心市街地の第一弾のオープンを控えた、ちょうどその場所、距離にしてほんの10メートルほどのこと。

仮設の道。本設だけど仮設の道

そこは、これまで何度も仮設道路の付け替えが行われてきた場所なのだが、人が中を歩いて通れるほど大きな、まるで地下トンネルのような排水管路が埋設されているため、付け替え道路がその場所を横切る所だけは、しばらく舗装されずにいた。

中心市街地の北側を走ることになる道路は、まっすぐ美しい道路になることは以前にもお伝えしたと思う。しかし、付け替えが何度も行われる仮設道路から本設道路へのつなぎ目の地下に配水管路があるせいで、その場所だけは砂利道のままだった。道路の付け替えがあったのが1月24日。排水管路の工事の進展に合わせて、これまで何度か小さな付け替えが行われたが、それでも砂利道は残った。砂利道と仮舗装の間の段差も残った。

段差と言えば漢字2文字で済むけれど、1日に大型ダンプカーが何百台も通る仮設道路のことだから、その境目の段差は酷いものになる。ちゃんと確認せずに突っ込むと、ガツンとホイールが歪んでしまうのではないかと思うくらい、絶望的な段差がずっと残されていた。

1月24日に道路が付け替えられる前の景色。右手が新しい本設道路
バリケードが車の通行を塞いでいる間は、本設道路は美しかった
道路の付け替えから10日ほど経過した後の景色
新しく造られた道と、仮設道路の間には大きな段差

中心市街地の北側のメインの通りという図面上のことだけでなく、歩道や側溝などの構造物がしっかり造られていることからも、この道が本設なのは一目瞭然だ。しかし、10トンダンプや、30トン以上もある重機を運ぶトレーラーが走り続ける限り、いくら舗装しても道はあっという間にずたずたになる。わかりやすく言うなら、戦車がコンバットモードで走り回っているようなものなのだから、工事が続く間はちゃんと舗装しても仕方がない。だから、すぐに舗装し直せるような仮に近い形の舗装になる。その理屈はよく分かる。

タイヤのみならずサスまでやばい段差

道路状況の写真だけでは体感しづらいものがあるかもしれない。と、思って通行中の車の写真を撮ってみた。上の写真の車はおそらく時速20キロ未満で、そろっと段差に入っていたのだが、サスペンションの軋み音が聞こえてくるようだ。

陸前高田に一校だけの自動車学校、この自動車学校は震災直後から被災した人たちの受け入れなど多岐にわたって地元を応援し続けてきた企業でもある。そしてこの自動車学校の路上教習車は、工事現場の最中の付け替え道でも、内陸部に向かう細いつづら折れの道でも頻繁に見かけるのだ。つまり、あえて被災地の荒れた道路を選んで走っているかのようなハードかつ真面目な姿勢をもっているだしいのだ。それでも、いくらなんでも、と教習生、そして車のことを思いやらずにいられない。

R30くらいの急カーブのまま、砂利道と、ルートとしては本設ながら仮舗装の道の段差に突入。教習車だから時速15キロも出していないかもしれない。それでも、こんなに車体が傾いてしまうのは、道路が悪いからに他ならない。

この時期、このドライビングスクールで学んだ人は、6年前の教習生よりも間違いなくタフなドライバーになるぞ——と、そんな風に言う人もいるくらい。

その日の前に日曜返上で進められた工事の目的は?

それが、3月5日日曜日、ごく短い時間ながら、この砂利道辺りを交互通行にして、段差を埋める舗装工事が行われた。途中停車する余裕もなく、赤と緑の旗を手にした誘導員に、「停まれ」「進め」とやられたものだから、駐車して写真を撮る余裕もなかったが、片側交互通行だった数時間後には仮舗装は完成して、誘導員なしに普通に通行できる道に変貌していた。

なぜ、いま、このタイミングで?

何しろ陸前高田のあちこちに、同じような段差とか、舗装された道路が突然砂利道になるような場所はたくさんあるのに、どうして中心市街地の近くのこの場所で、日曜返上で段差を埋める工事が行われたのだろうか。

もしかして、お化粧みたいなもの?

着飾って、取り繕ってどうなるのだろうか

3.11の前後には、全国からたくさんの人たちが被災地に集まってくることが見込まれる。そういえば、本日3月8日にも、被災した陸前高田の状況を見学したいからということでやってきた大学生2人組に会った。来月4月27日には、中心市街地の一部もオープンする。陸前高田はこれからしばらくの間、たくさんのお客様をお迎えするシーズンに入ることになる。

これまでずっと放って置かれていた段差が急に、それも日曜日の短時間の突貫工事で仮舗装されたのも、お客様を迎えるための準備だったのかもしれない。でも、それって、

厚化粧してごまかすようなものなのではないか。

お客さんが来るからって、急に着飾ったり、取り繕ったりして何になるのか。

数日前、陸前高田でほぼ唯一のお寿司屋さんで、その上、大将の人柄から全国的にも有名にな鶴亀寿司のご主人が話してくれたことを思い出した。

鶴亀寿司のご主人は、震災で大変な被害を受けられたが、商売を続けることこそが大切と、震災後間もなく仮設の店舗で営業を再開した。苦境に立ち向かう姿、さらにはその明るい人柄からメディア等に取り上げられることも多く、いつしか陸前高田を代表する食べ物屋さんのご主人として有名になった。

陸前高田を訪れる人のうちかなりの割合の人が、鶴亀寿司での食事を望み、事実数年前までは連日満席という状況。わたしなんかも何度か訪ねたものの、「ごめんね、満席なんだ」と断られることばかりだった。

「それがさぁ、2年くらい前からかな、ぱたっとお客さんが減ったんさ。3年前に比べてガクンとね。いやあ、何でかなあと思っていたら、ある人が教えてくれた。大将のトークは明るくて、辛いこと悲しいことまで面白おかしく喋るから、みんな『陸前高田はもう大丈夫。ちゃんと復活した』なんて誤解してるんじゃないのって」

たしかに鶴亀寿司の阿部さんの話は面白くって、底抜けに明るい。軽妙で洒脱で、それでいて心に刺さる言葉を機関銃のように放ってくる。だからこそ、全国各地に鶴亀寿司のファンがたくさんできたのは間違いない。来店して、つまり陸前高田のまちの様子、現実を体感した人であれば、鶴亀寿司さんの洒脱なおしゃべりに大笑いしながらも、その後でじわぁんと沁みるように感じるものがあるだろう。

だけど、ネットとかテレビとかで接しただけでは、たしかに「陸前高田にはこんなに元気で楽しいお寿司屋さんがいます」っていう風にしか伝わらなかったのかもしれない。

「面白おかしく喋って、幸せな気持ちでお客さんに帰って行ってほしいって思っていたんだけれど、それはそれとして、もう少し現実を伝えていかなければならないのかな。こういう性格だから、お客さんには楽しんでもらいたいんだけど」と鶴亀寿司さんは言う。それでも少しだけでも、苦しいこと大変なこと、つまりはここで生きている上で当たり前のことを伝えたい。

さて、3.11間近の陸前高田では、でこぼこ道を急ごしらえでキレイに見せるかのような工事が行われているように見える。見えるだけで思い過ごしかもしれないが、仮設本設問わず、でこぼこ道の仮舗装工事は陸前高田のあちこちで急に進んだ。いったい何を意図しての工事だったのか。

6年という長い時間を経て、この季節このまちに訪れる人たちは、厚化粧になんか騙されないと思うのだが。

急ごしらえで取り繕うより、本当のいまを見てもらう方がずっと大切だと思うのだが。

(掲載している写真は2017年1月末から2月のものです)