小島電化(おじまでんか)が「高台2」と呼ばれる震災後に造成された住宅地に構えるお店が2月25日にオープンする話は、少し前から市民の間で話題になっていた。わたしの所まで、オープンを祝って虎舞をやるから参加してという話があったくらい。
虎舞でオープンを祝うことになった大石の祭り組は、震災前に小島電化さんがあった同じ町内ではない。それでも、そんなことは関係ないといった感じで、小島さんの店がオープンするのなら!と2月25日には虎舞参加者がたくさん集まった。
最初に話を持ちかけてくれた人とは、指折り数えながら「うーん、やっぱり虎に入る人がもっとほしいのよね」と語らっていたのだが、当日早朝、虎舞の準備場所となった公民館にはシマシマ模様の虎パンツを履いた人たちがずらり。舞いの算段が記されたホワイトボードには、すでに虎舞の組が名前入りで書き込まれていた。
虎舞の虎は3組。陸前高田の大石の虎舞は、一般的な獅子舞や釜石地域の虎舞とは違い大虎には3人が入る。さらに、虎を先導するじゃらかしと呼ばれる踊り手もいる。笛や太鼓のお囃子組を合わせると約20人。
本来の行事として執り行われる1月の虎舞でさえ、去年は虎に入る舞手がとくに少なくて、中高生合わせて7人しかいなかった。2頭の虎を出すので精一杯。大人の舞手は交代なしで舞い続けていたことをふと思い出した。
虎舞の話ばかりしてきたが、お伝えしたいのは小島電化さんという家電店が、震災から6年を経てようやくオープンしたこと。出し物のひとつに過ぎない虎舞に、たくさんの参加者が集まったことに多くの文字を費やしたのは、それだけ小島電化のオープンを一緒になって祝いたい人がたくさんいたことを伝えたかったからに他ならない。よって、この記事には虎舞の写真はない。(紹介したくても、虎の中に入っていたから写真を撮る余裕などなかった)
「ようやく」という言葉の重さ
テープカットに先立って、小島電化の現在の社長である小島幸久さんが語ったあいさつに、式典に参加した多くの人が目に涙を浮かばせていた。
「震災から6年」と口でいうのはほんのワンフレーズでしかない。
しかし、震災で家族も家も店も失くした中、仮設店舗での営業再開を決意し、今日まで歩んできた。その2178日がどんなものであったことか。
多くの人が小島さんのことをいつも笑顔を絶やさない人だという。お祭りや祭りの後の飲み会で会うことが多かったわたしは、陽気でノリがいいギャグの天才というイメージばかりが強かった。津波で彼がどんな経験をし、そこから立ち上がった経緯や、笑っている瞳の奥にあるものに気づくことはなかった。
それでも不思議なご縁で、彼が新たな伴侶となる女性を大石の祭り組の人たちに紹介する場面や、奥さんの懐妊を伝えた場面、バーベキューで奥さんとのなれ初めから結婚に至るまでの事細かな状況を祭り組の面々が聞き出す(というかほとんど問わず語りだったが)場面に同席させてもらった。
毎朝のラジオ体操の会場となっているコミュニティホールのエントランスに、夏祭りの写真が展示されていた時、小島さんの写真を見て、「この子ね、震災の直後にわたしが作ったご飯を、おいしい、おいしいってポロポロ泣きながら食べてくれたのよ。あんな時だから大した物なんか作ってあげられなかったのに」と、ある女性が教えてくれたこともあった。
飲み会の時のノリからはほど遠く、あいさつも、テープカットも、くす玉を割るのも司会者に促されるようにしていながら、「祝開店 小島電化」の垂れ幕が金色のくす玉から出てくるのを見上げていた小島さんの顔、そんな夫の隣で横顔を見つめて拍手していた奥さんの顔、忘れられない。
陸前高田では4月の末に中心市街地の先行区画がオープンする。かさ上げ地に造られる新しい町にではなく、住宅地である高台2(正式な町名もまだ決まっていない)に店を構えた理由は、あまり深く突っ込んでは聞いていないが、中心市街地には店舗兼住宅を造れないという条件があったからだろう。
個人経営の家電店は全国的に見ても厳しい環境に置かれている。家電量販店、ホームセンター、そしてネット販売。地域に根ざした家電店という業態は、逆風に吹きさらされているといっても過言ではないだろう。昔ながらの地縁、ご近所付き合いがまだまだ色濃い陸前高田でも、その流れが大きく変わることはないと思われる。
それでも、「震災からもうすぐ6年という日に、ようやく」なのだ。
オープニングセレモニーの後、来店したお客さんには、「これと、あれと、それね。まとめてもらってくよ。オープニングセールなんだもんね」と、商品を買い求める姿があった。店の外では、やって来たお客さんと手を握り合ってあいさつする小島さんの姿もあった。
「震災から6年」と口でいうのはほんのワンフレーズでしかない。
「この日を迎えられたのはみなさまのおかげです」——。そんな言葉も、文字として読めばそれだけのことかもしれぬ。しかし、その場に居合わせた人たちは言葉でなく、意味を噛み締めていた。彼が先代という言葉を口にした時、そしてセレモニーでのあいさつらしからぬ大きな声で妻への感謝を述べ、彼自身言葉を詰まらせてしまった時、その場にいた多くが彼と一緒に涙した。
「ようやく」の6年であり、「たった」の6年でもある時の中にある思いと、ここから小島電化と小島さんの家族に新しいステージが訪れることを喜ぶ思いとが溢れ出て。
「祝 開店 小島電化」
ともされた新しい灯に幸あれ。