こんなつながりがあったとは! びっくりした。雪がしんしんと降りしきる陸前高田のとある復興住宅でのお茶っこ会。地元の人たちがお茶を飲み飲み、数人は手芸を続けながら「そういえば」と静岡の話になった。
残雪の町とハイヒールのお姉さん
お茶といえば静岡だけど、静岡っていうと思い出すのは近所のお姉さんたちのこと。
竹駒地区の大規模な仮設住宅から復興住宅に引っ越してきた一人の女性が話し出す。陸前高田の市内では、西から東へと住まいの場所を大きく移動した人だ。
「静岡っていえばお茶もだけど、みかんもでしょ。わたしが子どもの頃ね、近所のお姉さんたちが冬になると何人も静岡に行ってたんだよね、みかんの仕事で。11月から春先くらいまでだったかなぁ、でね、お姉さんたち、こっちに帰ってくる時にはキレイなハンドバッグを持って、ハイヒールみたいなのを履いて、まるで都会の人が来た! って感じだったのね」
「その姿がね、姿勢といわず、ハイヒールでの歩き方といわず、もちろん着てるものも上から下までね、まったく都会の人って感じだったんだ。わ〜、何々ちゃんちのお姉ちゃんが帰ってきた〜って、みんなで見に行ったりしたものなのよ」
みかんの収穫期が終わった後の帰省だったなら、陸前高田にはまだ雪が残る日もあったろう。そんな中、おしゃれなハンドバッグとハイヒール姿で駅に降り立ち、もしかしたらタクシーでも使って地元の集落に帰っていった若い女性たち。そして、噂を聞きつけてその姿を一目見ようと集まった子どもたち。その子たちのほっぺの赤さまで思い浮かべることができるようなエピソードだった。
出稼ぎっていうと男性のイメージがあったけどそうではなかったんですね、と尋ねたものの、即座にそんなコメントは愚問に尽きると跳ね返された。
「父ちゃんたちはもちろんだけど、兄ちゃんたちも姉ちゃんたちもそう。それが当たり前だったんだ」
高度成長と出稼ぎと
別の女性が語り始める。
「わたしが小さかった頃はまだ、みんながみんな出稼ぎに出るって感じじゃなかったと思うんだ。でもさ、正月とかお盆には、おみやげをいっぱい持って帰ってくる父ちゃんとかがいるわけさ。まるで本当のサンタクロースさんみたいだった。んで、見たこともない玩具とか絵本とか文房具とか。出稼ぎ行ってる家の子たちにそんなのを見せられっとね。どこの家でも、やっぱ出稼ぎ行った方がいいのかなって感じになるでしょ」
超合金ロボとか、りかちゃんハウスとか、もしかしたらGIジョーとか、そんな世代だったのだろうか。つまりは、高度成長期を支えた大人たちってこと。
大人の立場からして、子どもたちに差をつけさせたくない、淋しい思いをさせたくないということだけが理由だったかどうかは分からないが、出稼ぎ家庭が増えていくひとつの契機になったのは間違いないだろう。あの頃は、いまからは想像できないくらい「横並び意識」が強かった時代だったから。そして、そんな意識は時代を超えて、いまでもごく当たり前のものとして存在している。
だって、思い出してみてほしい。年末年始のシーズンになると都会の住宅地でもイルミネーションを飾る家々が、まるで競い合うかのように華やかさを競い合っていただろう(いまでも、消灯のタイミングを失ったかのように灯し続けている家々もあるくらいだ!)。他所んちよりうちの方がという感情は、何かを実行する上で想像以上に大きなドライブになるのは間違いない。
かつてのあの町をつくったのは
「出稼ぎ」という言葉には、都会の雰囲気を田舎に持ち込むとのニュアンスがあるにしても、「外に出て稼いでこなければならない」というネガティブな意味合いの方が色濃い。祭り組で知り合いがたくさんいる大石の人たちに飲み会の席で尋ねてみたら、
「高田でも地域によって多い少ないはあったけど、この辺も出稼ぎが多かったんだよ」
と地域の重鎮は教えてくれた。若手の代表格は、「う〜ん」と昔を思い出すように少し考えた後で、「自分が小学生だった頃には、出稼ぎ家庭の子を対象に、放課後に『お父さんたちにお手紙を書きましょう』っていう特別授業みたいなのがあったっけなあ」とも言った。
震災の頃30代だった人たちの記憶の中に、出稼ぎという言葉が刻まれているのを知って、震災前の陸前高田の町並みが記録された数々の写真の見え方が少し変わった。より現実に近づけたような気がする。
東北沿岸部には赤や青のトタン屋根の町並みがよく見られる。平和でのどかな雰囲気を醸し出す町並みだ。しかし、そんな町の景色を構成する一軒一軒、その住居を建てていった1人ひとりに注目すると、かつてのこの町が、出稼ぎによって成立していた町だったという一側面が見えてくるような気がしてきた。
出稼ぎ地帯。その言葉がイメージするものと「復興」という言葉はどう結びつくのだろうか。
成人式に関連する話で語った、若い人たちの故郷に戻りたいという強い思いと、ここは元々出稼ぎ地帯だからねという言葉。
思いと現実はどこでどんな風にすり合わされることになるのか。
そういえば、まったく個人的なことながら「思いはたいせつだけど、思うだけでは何も始まらないし、動かないのよ」というのは、数週間前に姉から言われたことだった。(つづく)