『ハドソン川の奇跡』と震災を経験した自治会長さんの願い

写真はハドソン川の奇跡とは関係ない。ニューヨークの街が「奇跡」を経験することになる約3年前のウェストサイドの冬の風景。ストレットリムジンが写っているのはご愛嬌。僥倖あって、高級ワイン付きのリムジンに15分ほど乗せてもらった記念写真みたいなもの。

ハドソン川の奇跡とは、2009年1月15日に発生したUSエアウェイズ1549便の不時着水事故で、乗客乗員全員が無事生還したことから、ニューヨーク州知事のデビッド・パターソンが賞賛した言葉に由来する。

その日、ニューヨーク・ラガーディア空港発ノースカロライナ州シャーロット・ダグラス国際空港経由ワシントン州シアトル・タコマ国際空港行きのUSエアウェイズ1549便は、離陸直後に2基のエンジンの双方がバードストライクによる停止という非常事態に直面。ラガーディア空港はニューヨーク近郊の空港の中でも市街地に近く、立ち並ぶ摩天楼(超高層ビル群)との衝突を回避しつつ乗客乗員の安全のため、真冬のハドソン川に不時着水するという機長の判断によって乗客乗員全員の無事帰還を果たした。

機長の的確な判断、そしてハドソン川に架かるいくつもの橋を乗り越えて着水するという操縦技術ばかりでなく、客室乗務員らの的確な誘導や、事故現場周辺の無数の船舶(その多くが小型のもの)の迅速な救助活動が、乗客乗員の命を救ったとして、この事件が多くのアメリカ合衆国民にとって、勇気と誇りを取り戻す契機になったと評価する声も多い。

そんなハドソン川の奇跡がクリント・イーストウッド監督、トム・ハンクス主演によって映画化され、日本でも大ヒットしている。陸前高田の市職員として東日本大震災を経験し、現在はとある仮設住宅団地の自治会長を務める方(東北に移住を決意して以来たいへんお世話になっている方だ)が、夜空の下の仮設住宅のベンチでこの映画について語り始めた。

「今日はさ、北上市まで『ハドソン川の奇跡』を見に行って来たのさ。ハドソン川の奇跡、知ってるよね?」

USエアウェイズ1549便不時着水事故のことは知っていたものの、不覚にもその出来事がクリント・イーストウッド&トム・ハンクスの映画になっていることは承知せず、1549便が厳寒のハドソン川に着水した直後にたくさんの川船が救助に走った動画が感動的だったなどと事故そのもののことにつて知っていることを伝えると、太陽光発電LEDランプの逆光に縁取られた自治会長さんの口が、「いや、そういうんでなくて、ああ、でもあの映画はほとんどドキュメンタリーだったんだよな」との言葉を絞り出した。

「うん、あれはほとんどドキュメンタリーということなんだろう」

軍人出身の機長による咄嗟の判断とか、林立する摩天楼を避け、さらに川に架かる橋もギリギリでクリアした操縦テクニックとか、気温氷点下6度、水温2度の川に着水したにもかかわらず乗客乗員が全員無事だったこととか、そういう話ではないということが自治会長さん自身の解説で呑み込めてきた。

映画のテーマは「英雄は容疑者になった」。

ところが——機長の“究極の決断”に思わぬ疑惑が掛けられてしまう。
本当に不時着以外の選択肢はなかったのか? それは乗客たちの命を危険に晒す無謀な判断ではなかったのか?

引用元:映画『ハドソン川の奇跡』オフィシャルサイト

「こんなこと喋るとうちのカアちゃんにはいつも叱られるんだもさ」

自治会長さんはいつもと同じく訥々と語る。いつもの夜のベンチ。いつもの逆光線。彼がどんな表情で話しているのかはよく分からない。それでも自治会長さんがどんな面持ちで語っているのか、見えないのに、見えてくる。

「オレだって市の職員だったからさ。あの時は、こうしろ、ああした方がいいぞと、指図みてえなこともいろいろやった。でもみんな自分の判断だ。なんかあったら自分が被るからって覚悟してやってたものさ」

「役所が機能してねえんだもの。こうしろっていう指示もねえ。指示を出すことすらできなかったんだろうけどな」

「でもな、指示を待ってることなんて時間もなかったのさ。指示を待っててダメになってしまうわけにもいかねえもんな」

「後から考えれば、こうじゃなくてああした方がよかったんでねえかって、そんなこともたくさんある。ああした方がよかったのになんでだと言われることもある」

「でもな、そん時はとにかくそうするしかないってことばっかだったんだ。それも役所からの指示も何もねえから全部自分の判断さ。後のことは自分が全部被るから、とにかくいまはこうしようっていう判断」

「本当なら行政が動かねばならねえのさ。でも動かなければ自分たちで何とかするしかねえだろ。そうやって、自分が責任とるからって言って動いた人、すんごくたくさんいたんだぞ。そんな人たちばかりだったんだぞ」

「こんなこと喋ってると、うちのカアちゃんには叱られるんだもさ、自分が引っ被るからって行動した人がどんだけいたことか。それがうまく行ったこともあったし、そうでなかった人もあった。それでも、その場面場面でそうするしかなかった決断ってものがあったんだ」

映画『ハドソン川の奇跡』では、155人の命を救った人が突然、容疑者になってしまうことが主題とされた。

自治会長さんは言う。「この映画は見るべきところがたくさんある。いい映画だった」と。とりもなおさずそのことは、わずか1秒の判断の遅れが、数百人の命を左右した津波のその時のこと、そしてちょっとした判断の鈍りが避難している人たちの暴発につながりかねない避難所でのこと、さらには仮設住宅に移った後の多種多様な確執を経験しているからこその言葉。普段から明るくて柔和で、しかも芯が通っていると頼りにされている自治会長さんが、生身の人間として感じ取り、生身の人間として対処の最前列にあり続けたからこその言葉だと呑み込めた。

「あの頃はな、悪い奴もいっぱいいたんだ。組織的な窃盗団みてえなのばっかじゃねえ。津波で流されたところを歩いては、金目の物を拾って回るような奴らがうんといたんだ」

「仮設住宅さ行ってもさ、ほれ、全国の皆様ありがとうございますとか、大変感謝しておりますとか、ご恩を忘れませんとか、そんな言葉ばっかりだろ? でもな、うわべの言葉の向こうにな、1人ひとりの人たちが本当に言いてえことを抱えているんだ。それなのにそんな本当の声が出て来ねえ。このままじゃ、まるでなかったことみたいに消えていってしまう。戦争の記憶とおんなじだ。ぎりぎりの状況の中で、責任は自分が持つからって判断した人がいっぱいいたってことが、なかったことみたいにされてしまう。わかるか、その判断がうまく行った人ばかりじゃねえんだぞ」

「そんなことをしっかり伝えていかなければ、なんの被災だったんだ。なんのためにたくさんの人が亡くなったんだ。震災の前には2万3000人もいた人が…」

自治会長さんは言葉を詰まらせた。これまでなかったことだ。自治会長さんはこうも言った。「で、あんたは何歳なんだ?」

「これはな、このことをしっかり伝えていくことはな、まず20年仕事だ。このままじゃ、まともに伝えられて来なかった戦争のことと同じだ。みんななかったことにされてしまいかねねえ。あんたたちに頑張ってもらわねばならねえことなんだ」

まだ観てもいない映画『ハドソン川の奇跡』がいい映画だということがよくわかった。

映画『ハドソン川の奇跡』が喚起するのと同様の物語がたくさん埋もれていること、そして町がかさ上げされて変貌していくのと同じように、なかったことにされつつあること。

「これは20年仕事だ」との自治会長さんの言葉の真意は、いまの自分にはよく分からない。それでも、その言葉の意味が分かるその時まで、取り組み、向かい合い、そして伝えていくことが我々の仕事なのだということは呑み込めた。

USエアウェイズ1549便が不時着水したのは、ハドソン川に浮かぶ空母「イントレピッド」博物館の間近。当日は空母周辺からも救難の小型船が駆けつけた。

重たい仕事であることは間違いない。しかし、肩に重荷を背負いながら立ち向かうような気持ちではなく、人と人とが自然に関わり合う中で少しずつ形になっていくような、そんな仕事なのではないかと予感している。

人として。

行き着くところ、最後の足場を紛うことなく踏みしめて。