一本松への駐車場に戻ると、観光バスの前で一列に整列する人たちがいた。
バスの運転手さんに聞いてみると、岡山の倉敷からやってきた大学生の団体なのだとか。岡山から陸前高田までは大型バスで、そしてここから先は地元のバス会社のバスに分乗して被災地を巡るのだという。整列しているのは、「犠牲者を追悼するため海に向かって黙祷するらしいよ」とのこと。
震災から5年6カ月。記憶の風化が叫ばれる中、この日もたくさんの人たちが一本松を訪れていた。たしかに風化はあるだろう。それでも、この場所に来て、この場所の空気に包まれ、目を開き、耳を澄ませる時間に風化はない。もしかしたら風化ということすら幻想とか物語といった類いのものなのではないか。
2016.9.11
震災から5年6カ月目となる9月11日、一本松茶屋の駐車場から交差点への出口に設置されたパイロンに、これは何の木なのか草なのか、一本の芽生えを見つけた。
一本松茶屋の駐車場には、北東北唯一のクラシックカーツーリングイベント「ツール・ド・みちのく」の参加車両が何台か停車中。
きっとものすごく高価なクラッシックカーやスポーツカーなのだろう。愛車から降り立つ人々もファッション雑誌から切り取ったようなおしゃれな人たち。一本松を訪れた人たちは、時ならぬ高級外車の登場を遠巻きに見守るばかりだった。
昨日よりもさらに厚くなった雲の下、昨日よりもさらに多くの人たちが一本松を目指して歩いて行く。ちょうど5年半というこの日も、杖をついた人や車いすの人の姿があった。
前日の写真と同じに見えるだろうか?
見上げる人の立ち位置も、見上げる角度もたしかによく似ているかもしれない。
でも、本当に同じだろうか?
まだベビーカーなしではお出かけできないくらいのお子さん連れの家族も、語り部ガイドとともに汐見橋で記念撮影。お母さんのカメラの連写音がすごい。この場所だけで軽く20枚は撮影したみたいだ。
母よ、あなたはなぜ何十枚もの写真をこの場所で撮るのか?
ほんとうは聞いてみたかった。聞けば、人がなぜ松を目指すのか、なぜ自分が一本松に何度も来てしまうのか、その理由の手がかりくらい見つかったかもしれない。
一本松の前にたたずむ人。一本松を見上げる人。
ガイドさんの姿からは、いかに一生懸命に説明しているのかが伝わってくる。声が聞こえないくらい離れていても、どんな言葉で何を伝えようとしているのか分かるような気がしてくる。
しかし、ガイドさんが懸命に伝えようとするほど、伝わらなくなっていくものはないのか?
遠すぎてよく分からないが、説明を受ける人の表情の中に数パーセントくらい、陰が差しているのが見えるように感じるのは、私がひねくれているからだろうか。
まっすぐな熱意。純粋な哀悼。歪んだ思い。さまざまな思いを持つ人々を、この日も松は迎え入れる。何百人、何千人が訪れても、面倒くさがったりすることなく受け入れる。そして丁寧に、空を見るように教えてくれる。松の根元からつながる被災地の大地に目を向けるように伝えてくれる。
この場所はいのちについて思いを致さずにはいられない特別な場所。訪れる誰にとっても特別という、希有な場所。
ベビーカーの子ども連れは一本松からの帰り道。いのちに思いを致す土地から彼らは外の世界に帰っていく。
彼らが帰っていくのはどんな世界なんだろうか。いまや人の生活というものが存在しない一本松周辺だから、誰もがこの場所から別の世界に帰っていくのは当然なのだが、思わずにいられなかった。その問いが自分にも向けられているのは言うまでもない。
ひとはなぜ松を目指すのか。
なぜ松はひとびとを受け入れるのか。
樹脂で固められた松に命はない。だから変わることもない。それでも日を追うごとに一本松がどんどん大きくなっていくように感じる。