陸前高田に夏を呼び込む「お天王様」の神輿渡御

七夕に先立つこと約3週間。7月15日、陸前高田で「お天王様」と呼ばれる神輿渡御が行われた。

七夕の山車の飾り付けを行っている地区の公民館で「お天王様は一度は見ておいた方がいいよ」と何人もの人に勧められた。去年の七夕でも、お正月の虎舞のなおらいの席でも、お天王様の話題は何度も出ていた。「あの年はさあ、あいつが崖から落ちそうになってなあ」「いや、あいつが担ぎ棒にぶら下がるもんだから神輿がひっくり返りそうになって大変だったんだぞ」などなど。そんなことだから、お天王様のお神輿はぜひとも見ておきたいと思っていた。

夕闇迫る陸前高田。付け替えられた仮設の道路に神輿の声がこだまする。お天王様の神輿巡幸の始まりだ。かさ上げされた町が広がるかつての町を巡幸した後、幾度かの休憩(お旅所でのお参り)を挟みながら、いよいよ高田の町の高台、天照御祖神社への渡御だ。

これまで神輿の横にも取り付けられていた担ぎ棒が取り外される。天照御祖神社への参道は急傾斜な上に狭く曲がりくねっているからだ。担ぎ棒が減るということは担ぐのが大変になるということ。そんなことなど関係ないと、三三七拍子の合図とともに神輿が担ぎ上げられる。かけ声が夜の木立にこだまする中、神輿は参道の急な石段を登っていく。

粛々と静かに石段を登っていくのかと思ったら大違い。斜めになって坂道をのぼっていく神輿は、右に左に大きく揺すぶられる。それこそ酒の席で聞いたようにひっくり返るのではないかと心配になるほど神輿は揺れる。かけ声が高まる。

見ているこっちまで鼓動が高まる。担いでなくても力が入る。風は涼しいのに汗が吹き出してくる。そして神輿はようやく天照御祖神社の境内へ。今年も事故なく無事に神輿渡御ができたという安堵感、担ぎ手たちにしてみればやっと担ぎ棒から解放されるという思いなのか、不思議な「気」が境内に満ち満ちてくる。

お天王様は400年の歴史がある祭り。高田の町に夏を呼び込む祭りなのだという。かつては町を巡幸した後に、天照御祖神社の高台へと駆け上がった。町が津波で流され、神輿も被害をこうむった後も祭りは続けられてきた。

お天王様に参加した大石祭り組の斉藤正彦さんは津波で自宅を流された。自宅1階の和室に仕舞っていたお天王様の法被も行方不明になった。しかし、津波で流された法被を拾って持っていてくれた人がいた。法被には知人のクリーンニング店で付けられたフルネームのタグもそのまま残っていた。

「和室に置いていた物で出てきたのはこの法被だけなんです。法被が出てくるということは、担げということ。そう思ってお天王様の神輿を担いでいるんです」

この町では震災前の人口の1割近くもの人々の命が奪われた。斉藤さんも多くの友人を失った。揃いの法被で神輿を担いできた親友も亡くしたという。

「お天王様があっての七夕だ」

神輿渡御の後、天照御祖神社の境内でその言葉が何度も繰り返された。美しい七夕にも勇壮なお天王様にも華やかさのなかに祈りがある。

夏本番。陸前高田の町は七夕に向けて燃え上がる。