2016年7月11日の一本松

東日本大震災から5年4カ月となる今日。平日にも関わらず多くの人が奇跡の一本松を訪れている。

下の写真で黄色い傘をさしているのは、栃木県からのお客さんを乗せてきた観光バスのバスガイドさん。巨大なベルトコンベアでかさ上げ工事を進めていたこと、その施設もすでに解体が進み、風景が一変したことなど、ここ数年の陸前高田の変化について詳しく説明していた。ビブスを着た語り部の人の姿もあった。

気仙川の水門も防潮堤も工事が進んでいる。一本松の後ろに見えるユースホステルの建物について質問する声も聞こえてくる。対岸に見える気仙中学校での避難の様子を説明する言葉も聞こえてくる。

刺すような強い日差しの中、語る人と聞く人の時間が静かに流れる。

津波で松が全滅してしまう前には、この場所には刺すような日差しはなかった。木陰、木漏れ陽、潮の香りと波の音…

震災の前、この場所にどんな空間が広がっていたのか、たとえ実際に見たことはなくても、ガイドさんや地元の人などたくさんの人々の言葉を通じていろいろなことを想像することができる。7万本もの松林が広がっていた松原。たくさんの人たちの思い出の場所。小さい頃、家族で行った海水浴。友達と海まで自転車を走らせた夏休み。初めてのデート。デートする友達の後をつけていったワルガキの思い出。大人になって家庭を持って小さな我が子を連れて行った海水浴…

消えることのない記憶といまここにある現実としての光景。その現実に向けられる眼差しの奥にあるもの。

一本松の前にたてられた看板に記された「ここに生まれる夢 ここで育つ未来」という言葉。

町のほとんどを失い、たくさんの、あまりにもたくさんのものを奪われたこの場所で描くことができたのは、夢しかなかったのかもしれない。一本松の前に掲げられた言葉からはそんな意味が伝わってくる。

一本松を見上げていたら、松の頂上のあたりをツバメが群れ飛んでいた。潮風にじゃれ合うように飛び回ったり、梢に止まってみたり。どうやら巣もあるようだ。ツバメは岸壁や橋、垂直のビル壁などによく巣を掛ける小型のイワツバメみたいだ。

陸前高田のマスコットキャラクター「たかたのゆめちゃん」の住まいであるはずの一本松の上で本当に命が育まれていることに感動した。

「ここに生まれる夢 ここで育つ未来」

もしかしたら夢くらいしか描けなかった場所で育まれている未来。それはきっと夢を抱くことを諦めなかったからこそ引き寄せることができた未来に違いない。

一本松は死んでしまった松の木のレプリカでしかない。モニュメントでしかない。しかしこの場所で育まれている時間がある。5年4カ月という時間を経たいま、刻まれている時がここにある。

一本松周辺の夏は日差しと潮風、そして工事の土埃で歩行には過酷な環境。ご来訪の際には日傘やマスクなどお忘れなく