ハンガリーのブダペストを後にするとクロアチアへ向いました。
その途中にあるセルビアでのことです。首都のベオグラードで交通手段の乗り換え時間が少しあったので、ちょっと街を散策してみることにしたのです。特にあてもなくぶらぶら歩いていると、異様な姿をした1棟の大きな建物(※冒頭の写真)が目に飛び込んできました。
解体工事中にしてはあまりにも不自然な壊れ方です。
気になったので通りがかった人に尋ねてみると、戦争の傷跡とのことでした。
ユーゴスラビア紛争について
セルビアは旧ユーゴスラビア連邦の中心国家。同連邦では1991年から2000年まで内戦がありました。ユーゴスラビア紛争です。
内戦について、当時ニュースなどでリアルタイムに聞いていた方はご存知かもしれませんが、旧ユーゴスラビア連邦はセルビアを中心とした6つの共和国から構成されていたそうです。
そして、セルビアには当時、コソボとヴォイヴォディナという2つの自治州があり、大きな自治権を与えられていました。しかし、セルビアが憲法を改正してこの権利の一部を奪ってしまいます。これに対してコソボでは、住民の大変を占めていたアルバニア人が反発し、独立を宣言します。
これがきっかけとなり、連邦を形成していたスロベニアなどの他の共和国が独立を目指してセルビアと戦争を始め、ユーゴスラビア紛争が始まりました。
戦争は当初、ユーゴスラビアの連邦内だけのものでしたが、セルビアとコソボの調停が不調に終わると、NATO軍が参戦してセルビアを攻撃します。
冒頭の写真は旧ユーゴスラビア連邦の国防省であり、NATO軍の空爆の跡です。
空爆の跡から感じる不気味さ
元国防省は、付近の建物が綺麗なだけに余計、戦争の生々しい跡が強調されているかのようでした。
ユーゴスラビアの紛争が始まった当時、私は高校に入学したばかり。ニュースで内戦の話は耳にしていましたが、遠いヨーロッパ大陸、さらに当時は馴染みの薄かった東欧の国だったことに加え、複雑な民族問題が絡んでいたせいもあったのか、遠い国の難しい話として、高い関心を持っていたとは言えませんでした。
しかし、空爆の爪あとが残る建物を実際に目の当たりにすると、ニュースで聞いていた当時とは異なって現実味を帯びた、より身近なものに感じたのです。初めて見る旅行者に対して与えるインパクトは強烈なものでした。
そして今回、この空爆の跡の写真がきっかけとなってユーゴスラビア紛争について調べると、セルビア軍がボスニアに住むムスリムに対して、「スレブレニツァの虐殺」と呼ばれるジェノサイド(※)を行っていたことを知りました。
もし、この建物が残されていなければ、間接的だったとはいえ、戦争が持つ不気味な恐ろしさを感じることはできませんでした。また、内戦中に行われた大量虐殺のことも知らないままだったかもしれません。
セルビアは通過しただけの国となってしまいましたが、この戦争の爪あとは私のなかに強い印象を残しています。
※民族や人種、宗教的集団の全部または一部を破壊する意図をもって行われる行為。大量虐殺。