占い師は世の中にたくさんいますが、鏡さんはちょっと異色の存在。高校時代から「天才高校生占い師」と呼ばれ実績を積み重ねてきた一方、イギリスと日本を往復し、ポップな星占いからアカデミックな研究までをこなしてこられました。運の善し悪しでなく、事象の捉え方を説く内容は、心理学や哲学、宇宙学のような学びの領域に似ています。鏡さんが考える「賢い占い利用法」についてお聞きしました。
鏡 リュウジ(かがみ りゅうじ)
占星術研究家・翻訳家。1968年3月2日生まれ。
国際基督教大学卒業、同大学院修士課程修了(比較文化)。雑誌、テレビ、ラジオなど幅広いメデイアで活躍、とくに占星術、占いにたいしての心理学的アプローチを日本に紹介、幅広い層から圧倒的な支持を受け、従来の『占い』のイメージを一新する。 英国占星術協会、英国職業占星術協会会員。日本トランスパーソナル学会理事。平安女学院大学客員教授。著書多数。近著に「星の宝石箱」(集英社文庫)がある。
裕福な家庭、母想いの少年時代
――鏡さんはたくさん本をお書きになっていらして、中でも中学・高校時代のお話はとても興味深く読ませていただきました。もっと遡って幼児期・小学校時代についてもお聞かせいただけますか?
伏見桃山、嵐山と何度か引っ越しはありましたが高校卒業するまで京都で育ちました。母は元モデルで、僕が生まれてからは着物の着つけ学校を主宰。父は着物の小物を扱う小売業を営み、夫婦とも商売が繁盛していて、住み込みの家政婦さんもいてかなり裕福な家庭でした。仕事の忙しい両親に代わって母方の母である祖母に、僕と1歳下の妹の世話をしてもらっていました。母・服部和子は日本ではじめて着付け学校を開校。今でも現役で働いています。
――私も鏡さんと同世代なのでずいぶんリッチな生活をされていらしたなぁ~という印象ですけれど。お坊ちゃまでいらしたんですか?
当時人気のあったウルトラマン絵柄の枕で寝ていた普通の子です。しばらくして高度経済成長期が終わり、一気に景気が悪くなって父の商売がダメになってしまった。
母の商売は軌道にのってだんだんお金のことで父が母に声を荒げたりするのを見て、幼いながらも母を守らなくては…と思い、「離婚してほしい」と母に頼みました。それで僕が10歳くらいの時に両親が離婚。ある日、夜逃げ同然で母と妹と僕の三人で家を出ました。大きな家だったのが一転、母がアトリエとして使っていたマンションで生活するようになって。
――お母さん想いでしたね。学校も転校されて?生活も急変して、習い事なんて考えられない状態でしたか?
いえ、習い事は結構いろいろやっていました。ピアノ、英語、学習塾など。英語は母の知り合いのインド人の娘さんに教わるくらいでしたけれど。ピアノは小学1年から1年間くらいの短い期間。塾は中学受験を小学校の先生に勧められて通うようになりました。
――お母様の事業が軌道に乗って、経済的には恵まれてらしたんですね。中学受験を学校の先生に勧められたのは、やっぱりすごく優秀だったからですか?
どうでしょう。当時、地元の中学校が荒れていたので…経済的に許されるのなら、私立へ進むことを勧めますという感じでした。どちらかというと体を動かすよりも、一人で読書をしていたいタイプでしたから、先生としてはいじめに遭わないようにと考えてくださったのかもしれません。進学した私立の男子校は仏教、浄土宗の教えを説く学校で道徳の時間の代わりに、仏教を学ぶ授業がありました。宗教の概念が昔から好きでしたね。
自分の興味に従って道を開拓
――鏡さんが占いの魅力にひかれたのは何がきっかけでしたか?
10歳頃に、どう使うかわからないままタロットカードを買って……魔女っ子メグちゃんとか、なんとかレンジャーとか、当時放送されていた魔法使いのアニメやドラマに影響されたところもあったかもしれませんが、オカルト的なことにとても興味がありました。それで、タロットの使い方を調べるために本を読み漁るうちに、西洋占星術やユング派の心理学とも深くつながっていることがわかってきた。
――誰にも勧められたり、強制されたりするのではなく、自分で興味のあるものを見つけられたのは、すごく幸せなことでしたね。「16歳の教科書2」(講談社)のインタビューでもお答えされていましたが、「天才高校生占い師」として連載を持っていらしたとか…その頃から今の道筋ができていたようですね。
その頃、ある雑誌に占い診断コーナーがあって毎回投稿していたんです。「この星の位置にある人の運勢を占いなさい」というようなお題に、自分なりの診断を書いて送るという。それで毎号優秀賞をもらっていて、ある時「きみは占いの才能があるから東京へこないか」と、その投稿コーナーを監修されている方から連絡がありました。
でも、中学生だからそんなことは到底無理。これにはむこうがビックリして……なおさらデビューをしたほうがいいと。それで高校生になるまで待ってもらい、「天才高校生占い師」として誌面デビュー。今から思うと子どものエネルギーってすごいですよね。好きなことはやらせたほうがいい。
――鏡さんは内に秘めたエネルギーがありますね。高校生として学校でちゃんと学業に励みつつ、一方で占いへの興味も高めつつ、大学受験もちゃんとクリアされた。
母もそういう僕の趣向がわかっていたので海外出張があるたびお土産には、タロットや水晶玉をリクエストしたものです。東京へ出張がある時は、母に同行して当時五反田にあったトランプショールームへ行ってみたり…。
――タロットはどのくらい勉強すれば技が身に着くものですか?一番大切なのは観察力、でしょうか。それとも勘?
僕は、占いをあてることにほとんど関心がないんです。占いって、実践ばかりに注目が向きがちですが、占星術なんてルネサンスや古典時代では文化の中枢ですよ。
これがわからなければ文化はわからない。今から見ると占いは「迷信」で「非常識」ですが、逆に何を指して迷信と言っているかがわかれば、いま、ぼくたちが立脚している「常識」も初めて批判的にみることができます。占いは信じて使ってもいいし、さらにいえば、それをいまの自分の価値観を批判的に映し出す鏡としてもいいんですよ。これは結構、高度な使い方ですが。
占いに意味を与えるのは自分自身
――鏡さんは物腰がとても柔らかですが、少年時代も無鉄砲なタイプでなかったのでは?
自分ではそう思っていましたが、そうでもなかったみたいです。肥えダメに落ちたこともあったし。幼稚園からの脱走も何度かありました。おばあちゃん子だったので、はやく家に帰りたかったんでしょうね。でも母は僕が何をしていてものんびり構えていました。「なんでもいいから日本一になりなさい」というのが口癖で。母は仕事で不在がちで、あまり一緒にいなかったので反抗することもありませんでした。
――27歳で占星術研究家として独立されましたね。大学院を辞めた時は一大決心でした?
それまでもずっと占いは続けてきて、メディアで占いの仕事もたくさんかけ持ちしていて、むしろそれが問題視されたくらいです。バブル直後の時代でしたから、就職しないのはなぜ?と言われましたけれど。母は「もし学者になっていたら、私がずっと働いて食べさせないと!と思っていたからよかったわ」と。肝が据わっていましたね。
――鏡さんが将来お子さんを育てる時は、子どもたちにどんな言葉を伝えたいですか。
子どもたちには「大人はあてにしないほうがいい」と伝えたいかな(笑)。自分の子を持つのは想像つかないことですが、子どもはすごく好きです。双子の姪っ子がいますが、かわいがりすぎて大変なことになっています。女の子なので、特に危険なことはやらせたくないという気持ちが走って。あれはダメ、これもダメと口出ししてしまう(笑)。
――では最後に、この記事を読まれる親たちへ何か一言をお願いします。
親は縮こまらずに生きてほしい。経済不況もあってなのか何をするにも安全志向ですよね。大人の背中を見て子どもは育ちます。
占いは、それぞれの出来事が持つ「意味」や「なぜ?」を考えるヒントを与えてくれます。ただし、そこに最終的な「意味」を見出すのはあなた自身。占いをヒントにするのもいいし、歴史をヒントにしてもいいし、文学をヒントにしてもいい。それがどんな運命で、どんな意味をもっているかを決めるのは自分なんだ、ということは、しっかり頭に入れておいてほしいと思います。
編集後記
――ありがとうございました! 子どもの頃から占いが大好きだった鏡さん。自分の興味や関心を阻まれることなく、大事に育ててこられて本当にラッキーでした。幸運も不運もどちらもあるのが人生と思いますが、「占いに意味を与えるのは、自分自身です」という一言は、とっても深く納得しました。毎日聴いているラジオ番組の星占いで『きょうの運気』が流れますが、占いの捉え方がグッとポジティブになるお話でした。 鏡さんの2011Diaryを毎日参考にします!
取材・文/マザール あべみちこ
鏡リュウジ 著 武田ランダムハウスジャパン
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