【シリーズ・この人に聞く!第38回】地域と学校をつなげる「よのなかnet」主宰 藤原和博さん

「私立を超えた公立校」というスローガンを掲げ、杉並区立和田中で「45分週32コマ授業」を実践。「地域本部」という保護者と地域ボランティアによる学校支援組織を学内に立ち上げ、英検協会と提携した「英語アドベンチャーコース」や進学塾jと連携した夜間塾「夜スペ」に取り組み話題に。教育現場を改革する手腕は、全国から注目を集めています。子どもを育てる環境は、どのようにすべきなのでしょう。三児の父でもある、藤原和博さんにお聞きしました。

藤原 和博(ふじはら かずひろ)

杉並区立和田中学校・前校長
東京学芸大学客員教授
大阪府知事特別顧問
1955年東京生まれ。1978年東京大学経済学部卒業後、株式会社リクルート入社。東京営業統括部長、新規事業担当部長などを歴任後、1993年よりヨーロッパ駐在、1996年同社フェローとなる。2003年より5年間、都内では義務教育初の民間校長として杉並区立和田中学校校長を務める。08年、橋下大阪府知事ならびに府教委の教育政策特別顧問に。著書は『人生の教科書[よのなかのルール]』『人生の教科書[人間関係]』(ちくま文庫)など人生の教科書シリーズ、『リクルートという奇跡』(文春文庫)、『校長先生になろう!』(日経BP)、ビジネスマンの問題解決に必須の情報編集力を解説した『つなげる力』(文芸春秋社)等。日本の技術と職人芸の結晶であるブランドを超えた腕時計「japan」(左竜頭、文字盤漆塗り)を諏訪の時計師と共同開発。

ナナメのつながりをうむ「よのなか科」

――著書を拝見しますと、藤原さんは一人っ子だったそうですが、団地で育ったことが後々の人間関係にも影響がおありになったとか。

父は裁判所勤めで、当時は公務員住宅で暮らしていました。鉄筋コンクリートの集合住宅でモデル的な住居。南向きのベランダ、キッチンでなかなか優れた設計の建物でした。4階建てで1棟24世帯住んでいて、同じ棟に6人くらい同級生がいた。その辺には他にもたくさん団地があって、全部で30棟くらい建っていたかな。 僕は父方の祖母も同居していましたし、父は5人兄弟の長男だったものですから親戚もいた。同級生にはみなお兄さん、お姉さんもいて、ワイワイと一緒に遊んでくれるナナメの人間関係のある環境でした。

当時はみんなこんな木造住宅に住んでいたのだとか。(昭和33年3月21日撮影)

――藤原さんが小さな頃は、何か習い事をされていましたか?

いろいろやっていましたね。僕らの頃は、小学校の先生を友達のお宅へ呼んで習字を教えてもらっていた。課外授業のようなアルバイトが許されていましたね。今でもそういうことがあるといいなと思いますけれど、給料の二重取りだ!とクレームを言う人もいるから、教員は他で通用しない人でいいということでしょうか。 他の子は、そろばんを習ってたかな。僕はアコーディオンに魅せられて1年間だけ習いました。幼稚園の頃は、お絵描き教室にも通っていました。うちの母の家系が狩野派の流れだからね。戦争で焼けなければ作品もたくさん残っていたし、もっと別の暮らしをしていたかもしれませんね(笑)。

――すごい家系でいらっしゃる。藤原さんが主宰されている「よのなか科」は、具体的にどういったテーマを授業で?

今まで普通の学校ではタブーにしてきたようなことを扱っています。例えば、経済であれば「儲かる」「儲ける」といったことを。あるいは「お金もちになるにはどうしたらよいか」、貯金と投資の違いなど現実的なことを取り上げます。また逆に、お金があるとかえって邪魔になっちゃうものなども考えさせます。政治ですと、地域の問題や人権問題をはじめ少年法の模擬法廷など。大阪では、昨年10月から40日かけて、35市町村55校の現場をまわりました。中学校中心に、小学校も高校も訪問しました。大阪では今春から、モデル校で「よのなか科」が導入されます。

――とてもおもしろそうな取り組みです!今の学校は新しいことを何か始めようとするのに、ものすごくエネルギーが必要だったり、考えて提案することに対して「抵抗勢力」のような位置づけで煙たがられたりすることもあると思います。藤原さんが始められるにあたって、反対派はいませんでしたか?

校長って、意外なことに人事権や予算権を握っていないんです。予算権は市区町村教委に、人事権は、政令市以外は都道府県教委にあります。しかし現場の校長に委ねられているものに教育課程の編成権がある。目の前の子どもたちに、どんなことをどのように教えるか、カリキュラム決定権は校長が持っているんです。教育は、超現場主義。校長が決めたことを承認するのが、地元の教育委員会。その学校が良くなるかどうかは、1も2もなく校長にかかってるんです。僕はさまざまな学校をまわってきて、校長と5分会話して、下駄箱とトイレを見るだけで、学校が抱えている問題がわかる。

校長が変わることで、教育も変わっていく

――校長先生は、それだけ学校現場への指揮力が問われるものなのですね。

教室のなかでどんな授業をするかというのは、全権を教員が握っている。こんな民主的な構造をもっている社会はないと思います。だからこそ何か変えなくてはならない時に、動きにくい。超民主的だから、どこも強制力をもたないんですね。校長を誰にするか決めるのは、その地区の教育長。教育を変えるためには、この教育長と校長の人事が要だといえます。教材の問題ではない。

4歳頃の藤原少年、とても利発そう。今の面影がしっかり。

――藤原さんが5年間、杉並和田中で校長先生をなさってこられて、いろいろ話題になりました。なかでも「夜スペ」には注目が集まりました。大手進学塾と学校が連携して、学校の場を提供して補習講座を開く。これは私塾に高い月謝を払わずに、安価な料金で勉強する環境を学校で得られる、すごくいい試みだなぁと感じました。

批判もありましたが、学校の先生に本当に力があれば、塾の先生に怯えることもないでしょう。自分たちの授業に影響があったらどうしよう……なんてね。大体どんな組織でも、上の2割で何事も決定し、以下5割はそれに追随し、残り3割はあまり力がないか、さぼり屋。これを2対5対3の法則といいます。今、全国に公立小中学校が約3万校ある(2万が小学校、1万が中学校)。このうち7割の校長は、はっきり言って、成熟社会に合ったマネジメントができていません、早く変わってほしいですね。この5年で団塊の世代の方々がゴッソリ退職するので、教育長が次にどういう校長を選ぶかで変わります。談合ヨロシクつるんで引っ張りあげてきたような人事ではダメです。

――とても衝撃の数値ですが、やはり……という思いもあります。大体、校長先生は子どものことが大好きな人がなる職業だと思っていましたが、今の学校の校長を見ても学校の中を歩く姿を見たことがない(笑)。安全とか安心とかいう言葉が大好きで、何でも管理体制を敷きたがります。子どもたち息苦しくないかなぁ、と思いますけれど。

小学校で担任をずっと長いこと続けて校長になる人は、子どもが好きという気持ちが根っこにはあるでしょう。3万校のうち、1割は素晴らしい校長がいる学校かもしれませんが、それが広がっていかないとね。なぜ変革かといえば、私たちの生きる社会が成長社会から成熟社会へ移行しているから。皆がなんでも一緒という社会ではなく、それぞれ一人ひとりが個別の人生を歩む社会になっていきます。20世紀と21世紀の大きな違いはそこ。一人ひとりに適応した教育が必要なんです。それは教員だけでは無理ですし、地域の教育資源の大胆な導入が必須になってくる。時代が変わった、という認識をもてる校長も実際は少ないんですけれどね。

――地域に住む専門力をもつ人と「つながる」「つなげる」ことのできる学校かどうか、それがよい教育ができるかの大きな分かれ目なわけですね。

ネットワークですよね。ネットワークと言うとコンピュータのことだと勘違いする人もいるけれど。インターネットなんてできなくても、人のネットワークはできる。ところが、外部の人材との幅広いネットワークを怖がってやらない学校もある。7割は校長のせいで「鎖国」している学校なんですね。

学校に「出島」をつくり、地域力を活性化

――教育を変えていく解決策として、何をしていくべきでしょう?

学校に「出島」をつくるんです。僕が推進している「よのなか科」でやっていることは、週1コマでもいいから地域の人が授業に参加して子供達と一緒に学べるようにする。異なるカルチャー、異なる考え方、異なる技術や知恵が交流する場になるわけです。もう一つは、毎週土曜日に教員以外のボランティアに勉強を教えてもらう「土曜寺子屋(ドテラ)」。これも「出島」の一種。
これから団塊の世代が退職すると、単純計算で全国の学校1校に100人くらいの経験豊かな地域人材が戻ってくる。100人もいれば少なくとも数人は、教職に就いていた人や知恵や技術の豊富な人がいるはずでしょう。会社を卒業してからの、とくに男性の生き方が問われる時代だと思いますね。

[よのなかnet]は、新しい日本人のライフスタイルを模索するサイト。

――地域社会での人材の活用の仕方、これからますますニーズが高まりそうです。

元三井物産とか、元三菱商事とか、そんな企業時代の肩書きがまったく通用しないのが地域社会。名刺を取っ払って、元**会社という肩書きのない人を迎え入れよう。それが、「学校支援地域本部」の役割でもあります。ボランティアとして参加してもらい、算数とかテニスとか囲碁とかを子供達に教えてもらう関係をつくる。中学生の頃は特に子育てが難しくなって、自分の母親のことを「くそババァ」とか言う時代。教員にも反抗的だったりしますが、近所のおじさん、おばさんとナナメの関係を結ぶことで、違う「つながり」が生まれますよね。

――オープンスクールのような何ヶ月か一度の公開授業ではなく、PTAのような強制ボランティアでもなく、地域と学校がゆるやかにつながる「出島」構想が広まると素晴らしいですね。

年に一度の公開授業なんて意味がない。毎週毎週公開され、大人と子どもが一緒に学ぶ[よのなか]科の授業が真に学校を開いていくんです。土曜日や放課後も開放して、大学生や塾の講師を含めた地域の教育資源の方々が寄り付く島をつくる。地域本部があれば、学校と外部との仲介役にもなってくれるでしょう。

――では最後に、習い事を考える親へ何かメッセージをお願いします。

親と子の縦の関係ではなく、お姉さん役お兄さん役おじさん役おばさん役というような(利害関係のない第三者との)ナナメの関係づくりを誰に頼むか考えるのが親の役目。縦の関係より、ナナメの関係で子どもは勇気づけられるものなんです。ナナメの関係が欠乏すると、ついつい守りに入ってしまう。勇気をもてず、自尊感情が低くなる。ナナメの関係を誰とどのようにネットワークするか、つなげるか、を考えてほしいですね。

 

編集後記

――ありがとうございました!教育現場の改革というよりも、教育を通して世の中を変革していこうとする藤原さんの行動力、実行力は素晴らしいです。情けない政治家の失言が続く日本ですが、藤原さんのような方がリーダーならきっと変わるはず!公立中学へ期待することがほとんどなくなっている今、杉並和田中の試みは親の私が通いたい仕組み。教育を変えていくには、教科書ではなく人なんだというお話。その通りだと思いました。大阪での教育改革も始まろうとしています。我が家のある横浜にも、ぜひぜひ藤原さんにいらしていただきたい!と強く願っております。

取材・文/マザール あべみちこ

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