海から200mほどしか離れていない戸倉小学校(南三陸町)は、5年前の大津波で校舎がまるごと海に呑み込まれてしまいました。小学校の屋上は避難場所に指定されていたそうです。それでも児童は無事でした。お隣にあった保育所のこどもたちも無事でした。そのわけは――。
今回の復興支援ツアーでは、訪問した先々でさまざまなことを学びましたが、中でもいちばん印象的だったのが戸倉小学校の避難行動です。大震災の2日前に震度4の地震が起きたのを受けて、避難マニュアルの再検討のための会議を実施。その席上、地元出身の先生が高台への避難を提案したのだそうです。
「地震が来たら、津波。津波の時は高台へ」
そう教えられてきたことをまっすぐに伝えて、職員会議を動かしたのです。さらに会議の後に校長先生といっしょに高台を歩いて、避難する上での懸念点を確認。その上で大震災の前日、3月10日に避難訓練を行っていたのだそうです。
「避難場所は屋上」と決められているのに、信念を持って高台への避難を提案した先生はとても強い人だと思います。そして、部下である教諭の発言を受け止めて、実地を調べて避難計画を変更した校長先生の判断や行動力にも敬服してしまいます。
防災は決して受け身のものではないことを教えられた思いです。(バイキンマンさん談)
防災が受け身ではないことを学んだバイキンマンさんのリポートはこちらです。