1月30日のNHKスペシャルを途中から観た。何日も前から息子が、この日のこの時間はこの番組を見るんだと言い張っていた番組でもあった。しかし息子は数十分くらい過ぎたところで「オヤジ、テレビやってるぞ」と言ったきり自室にこもった。
途中からしか観ていない番組だから、全体について評論するのは馬鹿げている。だが、番組に登場する人物たちがおしなべて「取材」を正義と位置づけているような発言をしていることに、大きな違和感があった。いらだちを覚えるほどだった。
日本中のどんな人も行かないような海外の戦地に潜入して、そこで繰り広げられている現実を外の人たちにニュースとして伝える――。それは人類史にとっても価値ある仕事であるのだろう。だが、どうしても納得がいかないことがあった。彼らの「取材」という言葉を使う際の作法だった。
取材という言葉にはいろいろな意味がある。古くは文章やイラスト、近代文明の進展に伴って音声や映像と広がりを持っていった。とはいえ本質的に共通しているのは、何かを表現あるいは伝達するための材料を取るということ。この一点は変わりない。だが世の中には「材料」として扱い得ないものもあるはずで、たとえば人の感情や将来への不安を、何かを構築するための材として扱うことは、人間として許されるかどうかの境界線に触れるくらいの問題だ。
翻って、今日的な意味合いを含めて説明し直すとすると、新聞社やテレビ局へニュース記事として売るための「ネタ」を仕込む――。そんな行為と言いかえてもいいだろう。ここで、さらに痛々しく感じられたのは、その取材という行為と、危険とがバーターな経済行為として扱われているということだ。
戦乱の地に赴くという行為は、同じジャーナリストの1人として、率直にかつ単純明快に「すごい!」と賛辞を贈りたくなるものだ。だが同時に、番組に登場したジャーナリストたちの感覚がひどく劣化していることを痛感したのもまた事実である。
自分はもう2年くらい前から、東日本大震災の被災地と呼ばれる地域に行く時には、取材ということはなしにしている。
いまでも東北の沿岸部を歩いていると、首から特注の長いレンズを付けた何台ものカメラ(ニコンやキヤノンは報道用に特別に優秀なレンズを供給している)をぶら下げ、肩には三脚と大きなバッグ(おそらくビデオとパソコンの機材が入っているのだろう)、そして多くの人が新聞社やテレビ局の腕章を、その社名の華やかさとは不似合いなくらいボロボロ(しかしよく見るとブランドものの)のコートに引っ付けてさまよっているのに出くわす。
そんな出で立ちの人たちへの地元の人たちの対応は必ずしも温かなものではない。だって、まともな記事にしてもらえることがないという経験を繰り返して来たのだから。たくさん話しても、メディア側の都合でカットされ、東京で用意された予定稿を補強するくらいにしか地元の言葉は使われないのだから。カメラを何台もぶら下げた取材者たちも、その場で聞けた薄い情報と写真だけで記事を作る。それが新聞に掲載される。あるいはテレビに数十秒流されるだけ。だから地元の人たちと報道会社、さらに被災していない域外の人たちとの認識の距離はさらに広がっていくばかり。
なのに、年中行事だ、お祭りだというとカメラを何台もぶら下げて、「実はこの町に来るのは初めてなんで地理も何もわからない」というジャーナリストたちが性懲りもなくやってくる。
報道だか何だか知らないが、何かを「出す」ことだけを使命として、それを担う要員として彼らはやってくる。たとえボロボロのコートをまとっていても、地元の人たちからは考えられないほどの報酬と引き換えに、ぶらっとやってきた彼らが、取材と称して写真をパチパチとっていく。
おそらく報道は瀕死の状況なんだろう。
何台ものカメラをぶら下げて、各地の現場を歩き回っている記者さんたちは、その体力という点では賞賛に値するだろうが、現地の声を伝える力は、別の要素に移りつつあるのは間違いない。思えば新聞でさえ約1世紀。テレビなんて半世紀の歴史しかない。冷静に考えてみれば、両者ともに人類に不可欠な普遍的ものとして確立されたような伝達メディアではない。
そんなあやふやなものに依存する形で成長して来た「ジャーナリズム」なるものも、時代による再考の過程に晒されていると考えるべきし、いまここにあるジャーナリズム的なものを疑ってかかることこそが、まっとうなジャーナリズムというものだろう。
「取材」あるいは、報道の責務なんてものも旧時代の枠の中にあるもの。これからさまざまな変化が起きていく状況の中で、人と人、人々と人々をつないでいく新しい繋がりや、伝えの新しい形や仕組みが具現化していくことは間違いないだろう。そのとき、「ネタを拾って価値ある情報に転化することで換金する」という、現況における取材という行為が存続しうるかどうか、個人的にはそれはないだろうと思う。
「取材」という言葉がいかに気色悪いものであるかを認識するところから、伝えることの未来が始まるような気すらする。