ヒロシマからの道「厚紙を入れた中学生の靴」

説明パネルに記された一言が、亡くなられた佐々木一彦さんの人となりを彷彿させてくれます。多くの言葉はいりません。

中学生の靴
佐々木綾子氏寄贈
爆心地から900m 雑魚場町(現在の国泰寺町)

県立広島第一中学校1年生の佐々木一彦さん(当時12歳)は、建物疎開作業の待機中に校舎内で被爆しました、母親が一人で懸命に捜し歩き、8日朝になって学校のプールのそばで息絶えていた我が子を見つけ、その場で火葬にしました。この靴は、付近の瓦礫の中から家族が見つけた遺品です。底に穴があいた靴を、一彦さんは厚紙を入れてはき続けていました。

引用元:平和記念資料館のキャプション

物資が極度に欠乏していた時代です。当時、中学に進めたのはある程度の生活水準にあった家庭に限られていましたが、それでも生活は楽ではなかったはず。12歳の一彦さんは自ら工夫して、穴のあいた靴をはき続けていたのです。

被爆の2日後、母親に見つけ出された一彦さん。被爆の2日後、ようやく一彦さんを見つけ出したお母さん。そして近くで見つけ出された一彦さんの靴。

一彦さんの思い、ご家族の思い、そして大切な遺品を記念館に寄贈したお母さんのお気持ちを思います。

私たち1人ひとりの中にも、一彦さんがいるはずです。