神戸・新長田を歩く(2015年11月)

暗い町なかで唯一の灯りといった感じのコンビニ。しかし、建物は東北でよく見かけるプレバブ造だった。レジのアルバイト店員(高校生くらいか)に聞いてみた。「建物が仮設っぽいんだけど、立ち退きの予定でもあるのかな?」。店員さんはちょっと驚いたような顔をした後、「そんなことはないはずですよ」と明るく否定した。

コンビニを出てすぐのマンホールの蓋には犬の糞が落ちていた。どうでもいいことなのかもしれないが、なぜか気になった。

震災前の新長田の雰囲気を残しているような、道幅の狭いアーケード。ほとんどのお店は閉まっていたが、街灯はついていた。むしろ、この通りの方がふだんは賑わっているのかもしれない。

開店していた食品店で話を聞いた。普段はもう少したくさん店は開いているとのこと。しかし、彼が強調したのは再開発のあり方に対する不満だ。

なにしろ行政の対応が早すぎた。震災の翌月頃にはもうプランは出来上がっていて、さあどうするって感じだった。こっちは被災した直後でまだ生活のあてもないし、途方にくれているという状況だったのに決定せざるを得なかった。その歪がどんどん溜まっていく。20年以上たっても解消されていない――。

「イヤな話」と思っていたことがその通りなのだと地元の人から教えてもらう格好になってしまった。賑わいを取り戻したように見える神戸の街だが、ここではまだ震災が続いているということなのか。

大正筋に戻るとちょっとした人だかりができていて、見ると「下町芸術祭」というのぼり旗が立っていた。スタッフの人に声をかけると、これからダンスのパフォーマンスがあるのだという。案内してもらってアスタくにづかの地下に下りて行くと、スーパーの食品売り場の前では、小学生くらいの子供たちによる販売体験イベントも行なわれていた。その一角にはたくさんの人が集まっていた。

案内してもらったダンスパフォーマンスの方も、スペースがいっぱいになるくらいの人だった。大学生だというそのスタッフの人に、神戸の復興がはかばかしくないことについて尋ねると、

「そうですか? 新長田は活気がある方ですよ」

そんな答えが返って来た。ここよりもっと大変な場所があるのかと愕然とした。

ダンスが終わり、アスタくにづかの地下からアーケード街に戻って思ったのは、大学生くらいの彼はたぶん震災を知らないということだ。実際に体験した人とそうでない人の間にはどうしてもギャップができてしまうのかもしれない。実際のところどうなんだろう。もっと話を聞いてみたい。

震災4年目までは毎年1月頃には神戸を訪ねていたが、その後足が遠のいていた。あの頃の記憶と、いま目にしている光景をつなぎ合わせるものを、今の自分は持ち合わせていない。ただ、新長田の町から軋むような小さな悲鳴が聞こえたことは間違いない。もっとたくさんの方に会って話を聞いてみるしかなさそうだ。