田老駅のいまと昔ということで、3年前の写真と今年の写真を並べてみようと思ったのですが、あんぐり口が開いてしまうような不思議な感覚なのです。下は2015年9月に撮影した田老駅。そしてもう一枚下の写真は2012年10月のもの。
以前撮影した写真を見ながら、同じように撮ろうとしたわけではないのですが、なぜか同じ構図、同じ映像が写っているのです。写真を並べるまでもなく、実際に現地に立ったとき、デジャヴのような感覚にくらくらしたのを覚えています。
ほんとうに、ほんとうに、まったく同じたたずまいなんです。変わっていない景色だけを切り取れば。
それでも変化はあるのです。たとえば駅のホームから海の方を見た景色。
国道の東側にはソーラーパネルが大量に設置されています。遠くには生コンプラントの建物の見られます。これは2012年にはなかったものです。
通り過ぎるだけでは、「ああ変わらない」と感じるばかりかもしれません。でも、田老の町はたしかに変化していっているのです。ご案内の順番が逆さまになってしまいましたが、田老駅の駅前で、実は衝撃の変化を体験していたのです。
これまで何度か田老を通った時にも気付かずにいました。こんな大きな変化なのに。駅前にあった被災した田老観光センターがなくなっていたのです。
震災のがれきが撤去された後、もともとの駐輪場は屋根がなくなっていたので、田老観光センターの1階が臨時の自転車置き場のようになっていたのでした。
そういえば、この夏、伊豆箱根鉄道の車内で開催された「三陸鉄道写真展」にも、田老駅や田老観光センターの写真が何枚も展示されていました。田老駅は、「ここまで津波は襲いかかった」という生身の記録であると同時に、震災から9日後の3月20日には宮古駅との間で運行を再開した、復活のシンボルでもあるのです。
再び新しい町を立ち上げていくのは大変なことです。旅人の目には大きな変化が見つからないこともあるかもしれません。それでも、小さな変化の中にでも、未来に向けて鼓動しているものを、探していきたいと思います。