石巻市は人口約15万人。宮城県では仙台市に次ぐ第二の都市だ。地元の石巻日日新聞が10月8日版のトップ記事に掲げた見出しを見て、少なからずショックだった。そこに記されていたのは「45年後10万人維持へ総合戦略」という見出し。ごく限られた大都市圏を除いて、全国で人口減少が進むとされてはいるが、地方の中核都市といっていい石巻市の人口が2050年に「10万都市を目指さなければならないほど」減少するとは。
しかし、石巻市のホームページを検索して見つけたデータはさらにショッキングなものだった。
震災後、死亡と転出が急増
グラフの紫色は死亡数。赤は転出数だ。2010年までほぼ横ばいだった死亡数が、震災の年である2011年に跳ね上がっている。しかし、さらに驚かされたのは、翌年にかけて死亡数が大きく増加していることだ。
もうひとつ大きな動きを示している赤い折れ線の転出者数。こちらは震災の年には減少している。それが2012年の統計では震災の年の3倍を超えるピークを示している。
死亡数が2年にわたって上昇したのはおそらく、仮設住宅や見なし仮設住宅(アパートや借家など借り上げ住宅)に入居したことで、それまでの生活や仕事から切り離され、心の張り合いを失ったことで招いた生活不活発病(廃用症候群)の深刻さを物語っているように見える。
転出者数が震災の年よりその翌年にピークを示しているのは、進まぬ復興に見切りをつけて、市域から転出した人が多かったことを示すものと見ていいだろう。
石巻で聞くことがしばしばだった、「震災直後はもちろんだけど、最近亡くなる人が多い」とか「元気な人ほど転出してしまう」といった話が現実のものとして裏付けられたかたちだ。転出者に関しては、おそらく住民票を残したままでの人も少なからずいるだろうから、実際の人数はさらに多いかもしれない。
大災害がどれほど町に大きなダメージを与えるか。とくに災害以前から人口に下降傾向が見られた場所ではそれがいかに深刻か、まざまざと思い知らされる気がする。(しかし、このデータはあくまでも石巻市についてのものである。かさ上げ造成、つまり住宅再建の基盤整備が予定よりも遅れている地域では、流出人口はさらに大きい可能性もあると思う)
ショック!5年後には老齢人口も減少に転ず
さらにショッキングなデータもある。少子高齢化という言葉から私たちは、ベビーが減って老人ばかりが増え続けるというイメージを抱きがちだが、実際は違う。
赤線で示された老年人口の見込みをよく見てほしい。2015年から2020年までは上昇しているものの、よく見ると老年人口のピークは2020年でそれ以降徐々に減っている。オリンピックが開かれる頃から以後は、老人の人口すら減少していくことをこのグラフは示している。
もっとも、総人口や年少人口、生産年齢人口は2010年を100とすると、まるで滑り台のように下降を続ける。2050年には子供の人口は4割、働き世代の人口は5割弱。総人口も6割弱だ。高齢者の人口も現在の86%に低下する。これが何を意味するのか。
現在、計画が頓挫しているケースも多いものの、石巻市のかつての中心市街地だった場所の再開発では、コンパクトシティというコンセプトによる町づくり計画が進められてきた。買い物も通院も徒歩圏で用が足り、電車などの公共交通機関を利用することで通学や通勤の利便性も確保するという考え方、つまり高齢者の住みやすさにシフトした考え方が新しい町づくりのベースにあった。ところが目当ての高齢者の人口減少が進む上に、支えるべき世代が半分以下になってしまうとなると、それが根底から覆されてしまいかねないわけだ。
総人口と年少人口、生産年齢人口、老年人口の割合を予測した下のグラフではそのことが如実に表されている。
上のグラフには横軸が2040年までしか刻まれていないが、2040年時点で予測される総人口は10万人をわずかに上回るほど。その人口構成比は高齢者が約4割、働き世代は5割をわずかに超える程度。そして子供の割合は1割を切ってしまう。
日本の人口が実数として1億人を超えたのは、実は1970年の統計からだ。日本の総人口が減少に転じたといっても、人口規模としては20世紀の水準を上回っているという指摘もあるが、問題は別のところにある。石巻市の人口構成で見ても、1980年には子供世代の人口が全人口の4分の1もあったということだ。むろん働き世代も全人口の3分の2を占めていた。これが2040年には働き世代と高齢者の人口比が接近し、しかも子供世代が減る。だが、「由々しきこと」とか嘆いていても始まらない。
ことは火急を要する。しかも被災地であればなおのこと。
そこで石巻市では、「まち・ひと・しごと創世総合戦略」をまとめた。
流入人口・婚姻数・雇用数の増で出生率2.07を
石巻市が公表しているデータにはさらに細かい分析も続くが、総人口が減少傾向にあった中、震災で人口流出・死亡者が増加した。将来的には子供世代と働き手世代、高齢者世代ともに減少していくが、とくに働き手世代の減少が著しい。また、そのことが子供世代の人口減少を促進するという条件は大前提だ。その上で何を為すべきかが市の戦略素案としてまとめられたものと考えられる。
問題が山積していることは想像に難くないが、人口の自然減が進んできた状況を逆転するために、段階的に出生率を2.07に高めようとの指針が示されたという。20世紀後半以降、出生率が1.5を上回っていない日本にあって、この目標は極めてチャレンジングなものだ。石巻市では目標実現のための具体的な施策のプランニングを進めている。
石巻日日新聞の記事に掲載された図版が、今後具体化されて行く内容を想像する上で、非常に分かりやすいので引用させてもらおう。
「復興まちづくり」の進展、「人材」の育成、「子育て世代」の支援、それだけでは震災のダメージを回復するには足りない。それが上の図左側緑色で囲われた「絆と恊働の共鳴者会をつくる」に当たる。石巻日日新聞の本文での表現は「人口減少を補うのが」とやや控えめだが、観光産業を核として交流人口増大を図るというものだ。
地域だけの自力での再生力に加えて、外からの人たちをいかに呼び込むか。それは観光客であっても長期滞在者であってもいい。やがてこの町を愛し、住みたい、ここで暮らしたいと考えてもらえる魅力ある町づくりが重要だとしているのである。
思い出すのは震災の翌年、同市・雄勝地区の料理店、光洋の上山政彦さんの言葉だ。
いま、6割7割の人が雄勝を離れている。人間でも7割の血が流れたら、助かるためには輸血が必要だっちゃ?
そしてこの言葉が、被災地のみならず、全国的な問題であることを思う。都会より魅力的な町の在り方を示していくこと。多くの人々の間にこれまでと違った価値観が芽生えていくこと。そしてそれを力に、地域がその自然の美しさや人のあたたかさに見合うほどの輝きを取り戻していくこと。
人口15万人の町が都会なのか小さな田舎町なのかは知らない。また、単に数字としての人口さえ確保できればいいという問題ではないことも確かだろう。これからどんな具体的な施策が打ち出され、それが時代の変化に対応して行く物であるかどうかが、この戦略の可否を左右することも間違いないだろう。
しかし、震災によって最も大きなダメージを受けた石巻市という地方都市が、45年先の未来に向けてグランドデザインを描いているというそのことを、日本中の人たちに知ってほしいと思う。行政が本来やるべきこととは、こういうことではないだろうか。
もちろん、この町はいいところだから来て下さいというだけで移住してくれる人は微々たるものかもしれない。見積もることすらできないかもしれない。しかし、都会では絶対に味わうことができない生活がここにあることを示し続けて行くこと、そして必ずしも都会にいなくても、仕事はできるし、都会以上に豊かな生活を実現していけるという可能性を示し続けることで、きっと石巻のみならず、東北の被災した町の再生と発展があるものと信じる。
その意味でも、石巻市が掲げたグランドデザインの意味は非常に大きいし、今後の展開を見守っていきたいと思う。