大船渡港で今だけ見られる迫力の景色

ビルではない。工場でもない。もちろん城郭などでもない。いま大船渡港の海岸沿いに点々と並ぶのは巨大な屋外アートのように見える。

東北を代表する重要港湾のひとつで、クルーズ客船「飛鳥II」も寄港する大船渡のことだから、まるで太平洋へ旅立つ船のマストと船首を象った巨大オブジェみたいだ。

巨大なマストの南側、少し間を空けてコンクリートの塊が鎮座している。こちらはまるで、人間と巨人のようにサイズが異なる生き物が天に向かってのぼるためだけに造られた、階段の形をしたコンクリートのマッス。あるいは外側にさらに石を積み上げて造られるピラミッドの石室か――。想像の翼が羽ばたかせようとしても、これが何かという答えにはたどり着けそうもない。解釈を拒むアートとしか言いようがないもの。

巨大という言葉を使うなら、こちらのアートの方がさらに適任かもしれない。しかし、悔しいのは写真ではこの巨体のサイズ感がぜんぜん伝わらないことだ。

裏面に回ってみてはじめて、この巨大アートが重大な機能を実現するために造られた建造物だったことが判明する。これは「陸閘(りっこう)」。陸上に造られる防潮扉だ。巨大津波が襲いかかってきた時、大船渡の町を守るため閉ざされる巨人の門。陸地側への浸水をできるだけ喰い止め、住民が避難する時間を確保するための重要設備だ。同時に防潮堤の海側に広がる港湾施設で働く人々が、防潮堤の内側に逃げ込めるように各所に階段が設置されているのだ。

現在は陸閘や水門などの構造物の方が先に建設を進められているのかもしれない。最初の写真は防潮堤だが、まだ隙間がたくさんある。その分、陸閘などの構造物のデカさが強烈に目に焼き付く。深く美しい青色をたたえる大船渡の海と、真新しい白い建造物のコントラスト。この巨大アートのパノラマを目にできるのはいまだけ限定だ。

建造中の防潮堤は東日本大震災の津波より低い?

東日本大震災の被害を受ける前に、大船渡港に設置されていた防潮堤は高さ3~3.5メートルだった。これをかさ上げしたり新造したりして、新しい堤防は7.5メートルの高さになる。見上げるばかりの巨大堤防だ。

しかし、東日本大震災で大船渡が被害を受けた津波は高さ10メートルを超えていたという。つまり、もしも2011年3月11日の津波に匹敵、あるいは凌駕するような巨大津波に見舞われたら、現在の防潮堤は津波に乗り越えられてしまうことになる。

現在建設中の真新しい防潮堤は、明治三陸地震の際の津波高さを対象ににして将来想定される津波の規模を算出し(岩手県の資料には高さ6.5メートルとある)、それに1メートルの余裕を加えて高さが設定されたのだという。

もう一度写真を見てほしい。異様なほどの巨大建造物である。近くで見上げると、ここまでデカくしなくてもと思うほどの巨大防潮堤なのだが、東日本大震災の津波はこの高さを3メートルも凌駕していたというのだ。そう思うと、巨大津波が新しい防潮堤の天端を越える奔流になって襲い掛かってくるのが目に見えるようで恐ろしくなる。

「そんなことで大丈夫なのか?」と声がどこかから聞こえてくるよう気にもなる。しかしおそらく、防潮堤を越流する津波が起こりうることは、被災地での新しい町づくりには織り込み済みであるはずだ。

たとえばかつて「万里の長城」と呼ばれた宮古市田老町の防潮堤も、その高さは10メートルほどだった。しかし田老漁港の崖に表示されている明治と昭和の三陸地震での津波高さは10メートルを超えていた。万里の長城と褒めそやされはしたものの、田老の巨大防潮堤でも津波に越えられることを覚悟の上で建造されたものだと考えられる。
(明治三陸地震では14.6m、昭和三陸地震では10.1mの津波だったとされる)

防潮堤が乗り越えられるまでの時間で、安全な場所へ逃げる。昭和三陸地震で9割近い家屋を流され、明治三陸地震では実に住民の8割以上を失ったものの、高所移転するための土地がなかったために巨大防潮堤の建設を断行した田老町。生活の場をすべて高台に移すことはできないから、防潮堤というハードと、避難行動というソフトを組み合わせて対応することを前提に、新しい町づくりは進められているのだ。

リアス式の三陸海岸沿いの町には条件に共通するところが多い。国は防潮堤の規模について「100年に1度の津波に備える防潮堤」と表明して不評を買ったが、防潮堤を越える津波が来たら諦めるしかないなどと考えている人は皆無といっていい。

かつて大船渡駅のすぐ近くにあった水門は、被災したまま変わらぬ姿で今も残されている(おそらくこの場所の防潮堤&水門工事を開始するタイミングで撤去という方針なのだろう)。防潮堤やかさ上げの工事が進む大船渡にあって、今も津波の傷跡を如実に物語る場所である。

この町で津波の被害を経験した人ならば、地震が起きた時にどうすればいいのか、津波が防潮堤で喰い止められるようなものなのかどうか、よく分かっている。だから、どんな立派な施設であったとしても過信することなく必ず逃げるだろう。町の被害を最小限にすべく行動するだろう。大船渡の知人たちの顔を1人ひとり思い浮かべていくと、とても頼もしい気持ちなる。(それほど大船渡の人たちはカッコいい)

しかし、問題はそれが継承されること。

津波を生き延びた大船渡人たちの覚悟や考え方(おそらくそれはマニュアル化が極めて困難なもの)を、津波襲来のインターバルをこえて、未来へ伝え続ける大船渡であってほしいと心から望む。