【宮沢賢治と歩く】世界がぜんたい幸福にならないうちは

初めて大川小学校に行った時から気になって仕方がない壁画があります。

校庭のプール近くにあった円形ステージの壁画です。平成13年度の卒業制作で描かれた壁画の冒頭は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」。銀河鉄道の絵を挟んで向き合うように描かれた賢治のシルエットには、こんなくだりが。

記されているのは「農民芸術概論綱要」の一節です。私事で恐縮ですが、不勉強な自分はこの言葉を知りませんでした。でも心にずっと残ったので調べてみると、原本にはこう書かれていました。

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

引用元:宮沢賢治 農民芸術概論綱要 | 青空文庫

・・・・・・

言葉を失いました。

そして数年後、陸前高田から清流・気仙川を遡って行った場所で、同じ言葉が刻まれた碑に出会いました。

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない――
それはどういうことなのでしょう。賢治は何を意味してこんな言葉を記したのか。
大川小学校のグラウンド跡地でこの言葉に出会って以来、賢治のイメージがゆらぎました。不真面目な読者で、しかも大人になってからはほとんど読むこともなかった自分の中で、賢治の言葉が動き始めた瞬間でした。

私事ですが、ずっとずっと若かった頃、まだ米ソ冷戦が続いていて、核兵器削減のための交渉が行なわれていた頃、こんなことを考えたことがあります。たとえ超大国が少しずつ核兵器を減らして行ったとして、でも最後の一発を残すだけになった時、もしも相手国が自分たちより先に核兵器を廃絶したと知ったら、一発を残した側はその兵器を使う欲望に打ち勝って、自らも核兵器を廃絶することができるだろうか。

スタンリー・キューブリック監督の「博士の異常な愛情」を観た影響もあったのかもしれません。一発を残した国は、他国からの報復を心配することなく、相手に先制攻撃を仕掛けることができるのです。たとえ、実際に核兵器を使うことがなくても、一国だけが破滅的な手段を手にしているという状況は、必ず世界全体を支配しようとする意思につながって行くはずだと、私はその時、確信していました。その考えは、核兵器廃絶を実現するためには、核保有国が最後の一発を、まったく同時に廃棄する以外にないと強く信じることにつながっていきました。

友人のAさんとSさんにそのことを話したこともあります。二人から口を揃えるようにこう反論されたことを覚えています。「まったくペシミストなんだから。核兵器を造ったのは人類。だから人類は核兵器を無くすことだってできるはずだよ」

自分がペシミストなのか、相手が楽天過ぎるのかよく分かりませんでしたが、友人二人にそう言われて、たしかにそうかもしれないと思いました。でも、もしも核兵器というものを人類が完全に手放すことに成功したとしても、だからといって戦争や対立はなくなるのだろうか。そんな新たな疑問もわいてきました。

たとえば化学兵器や生物兵器といったものもあります。そんな特殊な大量殺傷兵器でない通常の武器でも、使い方によっては大量破壊兵器になります。

自分の中で、堂々巡りが始まりました。どんな武器であっても核兵器と同様に、最後の一発を同時に棄てるということがなければ、平和は訪れない。同時に廃棄するということは、直接目には見えない遠い場所で同時に行なわれるわけですから、お互いの信頼がなければなしえない。

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

引用元:宮沢賢治 農民芸術概論綱要 | 青空文庫

人間は平和、つまり幸福を実現しうるのだろうか。

風の又三郎の舞台とされる岩手県住田町の清流のほとりに建てられた碑の隣には、「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」が並んで建てられています。

そのことは、3年くらい前にこの碑を見つけた時から知っていたはずなのですが、この夏に訪れた時に気づきました。気仙川の気持ちのよい流れの側に建てられた「農民芸術概論綱要」と「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」が、大川小学校のグラウンド脇に描かれた卒業制作とまったく同じに見えるということを。しかも、住田町にある高原、種山が原には、銀河鉄道の夜髣髴とさせる景色が広がっているのです。

幸福や平和を実現することはたいへん難しいことなのかもしれません。しかし、多くの人たちが同じ思いでいることを、私は大川小学校と住田町でたしかに実感できました。

「農民芸術概論綱要」に刻まれた言葉にはたくさんの意味と未来が込められているように感じます。私も賢治の言葉を思いながら歩いて行きたいと思うのです。

復興も、戦争も、経済格差も、生きて行く上でのさまざまな困難も。賢治が選びとって使った「幸福」という言葉には、人が生きることのさまざまな方向につながっていくものがあると、真夏のある日、気仙川の涼しい川風を感じながら思ったのでした。

私事ばかりで、賢治ファンのみなさん、たいへん失礼いたしました。

* * *

締めくくりに、「農民芸術概論綱要」の「序論」と「農民芸術の興隆」、そして最終段の「結論」を引用いたします。

農民芸術概論綱要

序論

……われらはいっしょにこれから何を論ずるか……

おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である

農民芸術の興隆

……何故われらの芸術がいま起らねばならないか……

曾つてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた
そこには芸術も宗教もあった
いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである
宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い
芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した
いま宗教家芸術家とは真善若くは美を独占し販るものである
われらに購ふべき力もなく 又さるものを必要とせぬ
いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ
芸術をもてあの灰色の労働を燃せ
ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある
都人よ 来ってわれらに交れ 世界よ 他意なきわれらを容れよ

結論

……われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である……

われらの前途は輝きながら嶮峻である
嶮峻のその度ごとに四次芸術は巨大と深さとを加へる
詩人は苦痛をも享楽する
永久の未完成これ完成である

理解を了へばわれらは斯る論をも棄つる
畢竟ここには宮沢賢治一九二六年のその考があるのみである

引用元:宮沢賢治 農民芸術概論綱要 | 青空文庫

そして「雨ニモマケズ」。

雨ニモマケズ

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78)ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

引用元:宮澤賢治 〔雨ニモマケズ〕 | 青空文庫

重ねあわせて読むことで響きがいっそう際立ちます。

よろしければ、こちらもどうぞ。