あの建物が遺構として保存される方向に動き出しました。
あの建物とは、南三陸町の防災対策庁舎です。津波が町に押し寄せる中、避難を呼びかけ続けて犠牲になった町職員の遠藤未希さん、三浦毅さんの「命がけのアナウンス」で知られる建物です。
宮城・南三陸町防災対策庁舎 県有化案受け入れへ
6月20日 4時42分
東日本大震災の記憶を伝える「震災遺構」の1つ、宮城県南三陸町の防災対策庁舎について、町は震災から20年後まで県有化して維持管理するという宮城県の提案を受け入れる方針を固めました。
東日本大震災の津波で町の職員など43人が亡くなったとされる南三陸町の防災対策庁舎を巡っては、遺族や住民の間でも震災の記憶を後世に伝える「震災遺構」として「保存すべきだ」という意見と、「庁舎を見るのがつらく解体すべきだ」という意見に分かれています。
これについて宮城県は、時間をかけて冷静に議論するため、震災から20年後の平成43年まで県有化して維持管理する方針を南三陸町側に伝えましたが、町は回答を保留し、遺族説明会を開いたり町民全員を対象に意見を募ったりして検討を続けてきました。
その結果、町民から寄せられた意見のおよそ6割が県有化に賛成だったことや、庁舎の県有化を求める請願が町議会で採択されたことなどを踏まえ、県の提案を受け入れる方針を固めました。
南三陸町の佐藤仁町長は今月30日に記者会見を開き、町としての判断を正式に表明することにしています。
気仙沼の「第18共徳丸」、女川の「江島共済会館ビル」など、震災遺構候補が次々と解体撤去される中、保存されるかどうか注目を集めていた南三陸町の防災対策庁舎。保存のために必要な出費を宮城県が負担することで、震災から20年後までの保存の方向性が固まったようです。
しかし、防災庁舎の周りではかさ上げ工事が急ピッチで進められています。防災庁舎の高さは12m。かさ上げが完了すると、周辺の地盤が建物とほぼ同じ高さです。遺構として保存された建物は、現在とは違って、上から見おろすような形になってしまうかもしれません。
巨大津波被害の証言者として、志津川の被災地に立ち続けてきた防災対策庁舎。これから先、何を私たちに伝えてくれるのか、これからの世代の人たちにどのような形で訴え続けるのか、防災庁舎の今後が注目されます。
鉄骨だけになった防災庁舎には、毎日多くの人たちが訪れます。訪れる人たちは、ここで何が起こったのかを思い出しては手を合わせています。
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ありがとうとしか言えない――。NHKのニュースで遠藤未希さんのお父さんの言葉が耳から離れません。
これからも、時々会いに行こうと思います。