セウォル号沈没事件からの1年

2014年4月16日は韓国の海でたくさんの人々が亡くなった命日だ。250人の高校生を含む304人が犠牲となった韓国客船セウォル号沈没事件。日本でも盛んに報道された。

Yellow ribbons and hand-written messages at a memorial for the victims of the sinking of the Sewol. by K Wells

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1年前、メディアは事件をどう伝えたか

メディアが伝えた内容は、船が沈みそうになる中、乗客を残して救助された船長のこと。経験の浅い船員が操縦していたこと。沈没に至るまでの不可解な航路。迅速で適切な救助活動がどうして行われなかったのかということなど。真相は1年たった今日でも明らかになっていないのに、「あまりにお粗末」とか「ずさん」といったイメージのコメントがあふれていた。

そうして残念な意見が世間に広がっていった。

「日本ではこんなことはあり得ない」という見下したような見方――。

しかし、そんなことはないと語る人たちがいた。

ひとの命の意味を考えたい

それは東日本大震災で多くの子供たちの命が奪われた大川小学校の遺族の方たちだ。ひとりは電話で「他国のことなど言えたものではない」と強い言葉で教えてくれた。セウォル号の遺族の方々に書いた手紙をネットで公開た方もいる。

震災の日、子供たちは津波到来まで50分間も校庭に待機させられていた。逃げる時間は十分にあったはずだ。それなのになぜ、多くの子供たちの命が失われなければならなかったのか、真相は解明されていない。そして韓国のセウォル号では、傾きゆく船の中に生徒たちが残された。船内での待機を求めるアナウンスに従って。つまり――

「大川小学校の教訓が生かされることがなかったということなのです」

大川小学校の遺族の方は、失われた命の意味を考えていらっしゃるのだと思った。わが子の死を教訓にして、二度と同じ苦しみを他の人に感じてもらいたくない。それは、想像できないほど大きな悲しみの向こうで、それぞれの人たちがそれぞれの格闘の末に掴んだ生き方なのだと思う。

「間違ったことは正してもらわなければならない。そうでなければ亡くなった人たちに申し訳ないでしょう。オヤジ、母さんや妹が亡くなった津波って、あれ一体何だったのって息子に問われるみたいなことにしてはならないんです」

だからこそ、真相を明確にすること自体をまるで故意に避けているかのような学校の先生や行政、国への怒りが噴き上がる。誠意ある対応がなされない限りその烈火のような思いがおさまることはない。なぜなら、こどもたちを深く愛してきたが故の怒りなのだから。

悲劇を繰り返さないためには真相を知る必要がある。しかしその真相解明がネグレクトされ続ける中、すぐ隣の国で繰り返された事件。悲嘆と不信と周囲からの誤解のただ中にある大川小学校の遺族にとって、それがセウォル号沈没事件なのだ。

私たちはどのように向き合うことができるのか

我が子の命が失われた海に向かって、ずっと座り続ける人。泣き崩れ、それでも声を枯らして叫び続ける人。沈没現場近くの海で涙に濡れた花を捧げる人たち。修学旅行に参加していた250人もの生徒を突然失った高校では、今も教室がそのままの姿で残されてるという話も聞く。

沈没は避けられなかったのか。もっと多くの人達を救うことは出来なかったのか。家族を突然失った苦しさから自ら命を絶った遺族もいたという。

沈没事故の後、イエローリボンが韓国全土に広まっていった。黄色いリボンには「帰って来てくれることを切に祈る」という思いが込められているそうだ。繰り返す。「帰って来てくれることを切に祈る」だ。

切ない。

苦しい。

イエローリボンに込められた思い。
その思いを知った時に自分自身の中に湧いて出てくる思い。

セウォル号の沈没事件は対岸の出来事なのか――?

それは絶対に違う。

一度失われた命は二度と戻らないのだという。遺された人たちは失ったまま生き続けている。教訓を伝え、二度と繰り返さないように――。おそらくそのことを支えに。

大切な人たちを失った遺族に、私たちはどのように向き合うことができるのか。遺族の人たちと同じく、教訓を伝え、二度と繰り返さないようにする。そのことを胸に生きていくしかない。生きたくても生きることが出来なかった多くの人たちの代わりに。

人は人の命を左右する存在であるということ

では、教訓とはなんだろう。そう考えた途端に壁が現れる。たとえ壁に突き当たろうともそこから教訓を見つけ出さなければならない。そうでなければ向き合うことができない。もしかしたら、壁や教訓は人それぞれの形をしているのかもしれない。

(だからワタクシ事であると断った上で)闇の中を手探りで模索する中で見えたような気がしたことがひとつある。それは、私たち1人ひとりが、時に他者の命を左右する存在でありうるということだ。教師でも船員でも銀行の支店長でも会社の先輩でも、あるいは児童や生徒でも、見ず知らずの集団の中にたまたま居合わせた通行人としてでも。

判断や行動が人を生かすことがある。しかし人の命を奪ってしまうこともある。そのことを決して忘れない。

ふだん思う事などないかもしれない。しかし確かに人間は、時として他者の生死を分つ存在になってしまう。その覚悟と準備を、生きてある限り心の中に持ち続けること。その周辺にもっとはっきりした教訓への入口があるような気がするのだ。