海辺の地を行く「石巻市・長面」2014年12月30日

ここがどこだか分かりますか?土嚢が積み上げられた路肩の向こうはすぐ海です。海なのに枯れた木が立っています。水門のような施設の一部が海面から突き出ています。

撮影したのは2014年の12月30日。北上川の河口の南側、長面(ながつら)という地域です。行政区画としては石巻市です。昔の航空写真を見ると、この辺りは民家が立ち並ぶ町の中心だったようです。大川小学校からさらに河口に向かって走った先の光景です。

国土地理院が作成した「浸水範囲概況図」に所在地を記します。

国土地理院「浸水範囲概況図 No.86」を引用し加筆

上の地図の斜線の部分は浸水域です。海から枯れ木が突きだしている部分も浸水域に含まれています。浸水域ということは、元は陸地であった場所。しかし、大津波から4年近くが経過した今も、枯れ木は海の中にあります。

長面は新北上大橋の近くの大川小学校よりもさらに海沿いの河口の集落です。大川小学校から長面に向かって走っていくと、右手には山、左側には一面に赤土の平地が広がっています。何も考えられなくなります。震災前に長面を走ったドライブビデオを見たことがありますが、そこには民家や商店や田んぼがありました。しかし今はすべてがなくなっています。いや、海に立つ枯れ木に辿りつくまでの道路沿いには、たくさんの真新しい墓石が林立する墓地が2カ所ありました。でも、それ以外には、時折すれ違う車があるくらいでした。

2014年末の大川小学校

山と平地の境を走る道路を行くと、やがて凍りついた湿地のような場所が広がります。田んぼだった場所なのかもしれません。でも今は人の姿を見ることもありません。氷の上に白鳥や黒鳥、鴨などの渡り鳥が丸まっているばかり。

いくつものカーブを曲がると道の右手が海になり、そしてあの枯れ木が現れたのです。

この枯れ木の少し先には水産加工場がありました。年末なのに稼働しているようでした。誤解を恐れずに言うなら、死の世界から人の国に戻ってきたような感覚でした。

水産加工場を過ぎるとすぐに道が右にカーブします。巾着のような形ですぼまった長面湾の入り口です。この場所に架かる「尾崎橋」は手前半分が仮の橋になっていました。

そして道の左側には海。太平洋に面した長面の先端近くまで来たのかと思いましたが、大きな間違いでした。ナビのない車で走ったので気づきませんでしたが、そこは津波の前までは長面湾につながる内海というか水道部だった場所だったのです。

国土地理院「浸水範囲概況図 No.86」とGoogleMapの画像

震災前の地形図に浸水域が書き込まれた国土地理院の「浸水範囲概況図 No.86」と震災後に撮影されたGoogleMapの画像です。分かりますか? たくさんの土地が海になってしまっているのが。左の地図で追波湾に向かって長く伸びていたのは、長面の松原海岸。広い広い砂浜と長い松林が続く、夏には海水浴で賑わっていたという海岸。しかし、いまは姿を見ることができないのです。

北上川の対岸から長面方面を遠望すると、無数の杭打機が並んで立っています。海に奪われた長面の土地を取り戻すための作業が続けられているのでしょう。しかし、その場所は河口の一番先端付近。(写真を見返してみたら、2つ上の砂浜の写真の右手遠くにも、杭打機がかすかに写っていました)

長面がかつての平地や美しい松原を取り戻すのはいつの日になるのでしょうか。

以上、短いですが、2014年12月30日の石巻市・長面を旅行者の目線で紹介しました。

※大川小学校の前から長面方面へ、震災前のこの土地をドライブした動画を紹介した、記事の「追記」は別のページにしました。