【阪神淡路大震災20年】1995年の被災地リポート(2)

取材がボツになったのは1997年末。震災から1000日と少し。復興公営住宅への入居はその年の初めからすでに始まっていたが、まだ仮設住宅入居者数の方が多かった。仮設住宅の入居がゼロになったのは2000年1月。震災から5年もの歳月が経過した後だった。

復興公営住宅では高い高齢化率も問題になり始めていた。孤独死や自殺の報道もあった。心のケアの大切さが叫ばれていた。

火災や大規模な倒潰が発生した地域では区画整備や再開発が進められていたが、たとえば新長田駅北のエリアでは、工事着工は1997年1月だが、再開発事業が完了したのは16年目の2011年3月のことだ。「信じられない」と、阪神淡路の現場から足が遠のいてしまった自分は無惨にも呟くほかない。

表通りから見えにくくなっただけで復興はまるで進んでいなかった。しかし、1997年末に「もうさすがに4年目だから」と自分は感じていた。

東日本大震災の被災地では復興の進捗はさらに遅い。打ち上げ花火的に早期着工・早期完成した災害復興住宅はあるものの、全体で見ると再開発の第一歩となる土地のかさ上げがようやく進み始めているような状況だ。とてもじゃないが「もうさすがに4年経つから」など言えたものではない。土地が出来てはじめて町づくりが本格化する。人が戻ってくるのはまだまだ先のことだ。「心の復興」となると、まったく先が読めない。

「20年」に当たってNHKが阪神淡路大震災の被災地で行ったアンケートの結果、心の復興の度合いの平均値は70%だったらしい。「0%」と答えた人も少なくないという。

風化。

阪神淡路大震災から20年。この日を「区切り」とか「節目」にしてはならない。「むかしむかし、とっても可哀想な出来事があったんだ」などと物語にしてはならない。

風化は悲劇を経験した人と、そうでない外の人の間を切り裂く。風化は被災した人たちをさらに傷つけていく。風化は復興にとって深刻な足かせとなる。

風化を繰り返してはならない。壮絶な光景を目にしてから20年となるいま、自責の念とともにそう思う。

石巻市中瀬に立つ「輝く人」。石巻出身の伊藤嘉英さんの作品で、2013年「神戸港・海上アートコンペティション」で審査員特別賞を受賞。石巻の人々に見てほしいとの、作家含め多くの人々の要望で2013年末にこの地に展示された。当初2014年3月までの予定だったが、展示期限が1年間延長されている。