陸前高田・大石の虎舞の打ち上げ後、御下がり物として頂いたお酒。「遠慮しなくていいのよ、なかなか手に入らないお酒なんだからもらっておかなきゃ」と奨められたので調べてみると、「初酒槽(はつふね)」は年末年始に期間限定、ほとんどが地元で販売されるお酒。出荷数はたったの200本!
こんな貴重なお酒をのん兵衛に呑ませるだけではもったいない。開封する前に酔仙の新しい工場に持ち込んで、酒蔵をバックに記念撮影。
震災の前、酔仙酒造は虎舞に参加させてもらった陸前高田の大石地区にありました。大石は酔仙のふるさと。だから大石の祭り組の面々のおしゃべりでは、「酔仙さんが…」と人の名前みたいに呼びかける話がたくさん飛び出してくるのです。
酔仙さんがあったのは大石の集落の坂道が始まる辺り、高田の町の平地の奥でした。今では陸前高田市立第一中学校の臨時グラウンドになっている辺りが、かつての酒蔵の所在地なのだそうです。まさか海からこんなに離れた場所まで津波が来ることはないだろう。震災の前、大石の人たちはそう思っていたそうです。しかし津波は坂の途中の公民館の上まで駆け上がっていきました。酔仙酒造は完全に津波にのみ込まれてしまいます。
海岸から2キロに位置する酔仙酒造も例外なく津波による壊滅的な被害を受け、重要文化財の指定を受けていた建物は跡形もなく消え去り、大切な従業員7名を失いました。
酔仙さんのホームページには、その日からの歩みが詳しく記されています。ぜひご一読いただきたい、こころに沁みる言葉です。
永年お酒を造ってきた蔵を失い、それどころか大切な従業員をも失った酔仙さんですが、「日常を取り戻したい」「歴史を繋いでいきたい」という思いで再建を目指します。
想像してみてほしいのです。震災によってすべてが失われた町で「日常を取り戻す」ということがどんな意味なのか。どれほどの困難に立ち向かうことだったのか。
被災の半年後には一関の酒蔵を借りて酒の仕込みを始めます。本来ライバルだった同県の酒蔵さんからの支援のみならず、たくさんの人々の支援や協力があったそうです。当時の陸前高田の町の様子を想像してみてください。まだ被害を受けた建物の片づけも思うように進まない状況でした。
厳しい状況が続く被災した町で、酔仙さんは震災の翌年の3月には隣町の大船渡に新しい工場の建設を始めました。信じられない早さです。「なぜそんなに頑張れるのか?」と周囲に尋ねられるエピソードもホームページに紹介されています。答えはこうでした。
「震災前にあった日常を出来ることから取り戻す。」
これが復興であって、酔仙の復興への取り組みはこの中の一部です。
日常を取り戻したい。歴史は繋ぎたいのです。
酔仙さんの新しい酒蔵は、大船渡市の山手にあります。静かな森に囲まれた坂道の上にあります。ここは酒造りの日常がある場所。
旨い酒を造る近道は、毎日安全に仕事を出来る環境を整えることです。毎日途切れること無くコツコツと同じ作業を続ける心の平和が必要だと考えています。心を落ち着かせて、考えうる様々なリスクを減らし、自然に寄り添いながら無理をしない。
そんな酒造りの平和がある場所。
玄関に掲げられた杉玉も、いい具合に色づいています。新酒とともに青々とした状態で掲げられた杉玉の色の変化はお酒の熟成を示すシンボル。今年も美味しいお酒がつくられている証です。
この酒造りの精神は今日に至るまで、大切に受け継いできました。そして、東日本大震災による壊滅的な被害を乗り越えてこれからも繋いでいきます。
酔仙・大船渡蔵、ここは美味しいお酒を醸す場所。そして酔仙を愛する気仙の人たちの気持ちを通して、未来を醸していく場所。
これまで当たり前にあったことを続けていくことで、未来に繋いでいきたい――。
虎舞に込められた静かな祈りに通じるものが、この森の中の酒蔵にも感じられます。
「美酒伝承」。日々変わることなき酔仙さんの静かな信念、今と未来を繋ぐ平常心です。